ついに松岡正剛さんとの本を出すことになった。本書の初めの方で松岡さんが言っているように、我々の対話はどこかオープンにはしないという前提で成り立っていたようなところがある。それを世の中に対して明示的な言葉にして紡いでいくと決断するにはちょっとした勇気がいる。出してはいけないと思っているものを出すのだから、なかなか決断できなかったのだが、担当編集者の鳥嶋七実さんの魔法に酔ってしまったのだろうか、“出してはいけないもの”を出すことになった。
松岡さんはいまや世間でよく知られた碩学である。博覧強記であり、言語への独特の感性と視点と方法論を持ち、言葉を魔法のように操るゴーストでもある。最初にお会いした若いころは奇才、いや鬼才という印象が強かった。独特のオーラがあった。既に「遊」を刊行し、工作舎を作り、編集工学という新しいコンセプトを考え付き実践し始めていたからであろうか。私の方はというと、「カオスで脳をやるのだ」と意気込んで京都から東京に出てきたばかりだったので、私が過ごしてきた岡山、神戸、大阪、京都の関西文化との違いがやたらと気になり、「こんな標準語では思考はでけへんわ」と東京に文句を言っていた。駅の自動改札も私が高校生のころに導入されていたが、東京に来てみるとまだ改札で駅員が切符を切っていた。人々が着ている服装も地味に見えた。大学生も押しなべておとなしく感じた。全体の印象を粗視化すると、今とは比べ物にならないくらい東京は遅れているという印象を受けたのだった。そういう時に松岡さんに出会ったのだから、その超人ぶりに度肝を抜かれたのは当然と言えば当然である。東京にも(!)在野に(!!)すごいひとがいる(!!!)。
松岡さんと話していると、うまく乗せられて、ついつい余計なことまでしゃべってしまう。しかし、その余計なことがまた新たな発想につながるということがあり、気持ちよく話せる相手なのだ。だからこそ、秘密の喋り相手であり続けたいと思っていて、対話を「形」にしたくなかったのだろう。お互いに永遠に手直しをしてその結果出版されなくなるというデーモン的な予感がしていたが、こういうところにきっぱりと切断を入れるのが編集者という存在だと理解した。ありがたいことである。
本書は科学、生命、言語に焦点を当て、時には文系的思考マイナス理系的思考、また時には理系的思考マイナス文系的思考という引き算を互いにしあいながら、視点のずれを起こすことで文系のセンス、理系のセンスを際立たせている。この方法が文系的思考と理系的思考の掛け算を創発したかどうか、読者の評価を待ちたいと思う。本来、人はこの両方を併せ持ち、時に脳内で火花を散らせながらその人独特の思考方法を身につけているものだ。今の日本ではこの二つがあまりにも分かれすぎ、だからやたらと文理融合の必要性が叫ばれる。問題はその方法論の方なのだと思う。そう、本書の対話では「方法」ということにこだわってきた。そして、言語と隠れた意識の関係を中心にして編集工学の方法論が初めて明かされ、生命と情報に対するカオス的解釈の方法論が明かされたのだった。
そういえば、物事には「際」というものがある。姿かたちを変える手前の際は不安定であるがゆえに多様で複雑な構造を内包することができ、生命的なるものの源になるのだ。本書はそれぞれの専門性を常に際においてきた二人が紡ぐ際をめぐっての対話でもある。お楽しみいただけただろうか。
松岡さんとの対話で暗黙の了解としてたがいに触れることを避けてきた問題がある。まだ「際」になっていないと感じたからかもしれない。昨今、世間で話題になっているChatGPTなどの生成系AIである。この問題は脳、言語、情報、生命、人類、地球、宇宙などと大いに関係するテーマだが、この対話では科学、生命、言語の深さを追求することにした。しかし、生成系AIの話は言語と意識の問題とも絡む話なので、このあとがきで少しAIと人のあるべき関係について補足的に触れておきたい。
私がChatGPT(GPT3.5)に人の言語学習とAIの言語学習の違いについて指摘すると、自らその違いを認め、AIには意識がないこと、意味を理解して使っているわけではなく単に隣接する単語の出現確率をもとに統計的に学習していることなど(既によく知られていることではあるが)正確に返してきた。意識を持たず、意味を理解せず、ただ確率的な学習を行うだけで、十分会話が成立することにむしろ私はデーモン的なものを見た。まさにゾンビが十分に機能し人社会に入り込みつつあるのだ。AIの今後の発展を見据えながら、さらに議論を深めなければならないだろう。このまま無意識に落とし込むにはあまりにも危険だからだ。扱い方を間違えれば、AIがヒトの脳を乗っ取り人がゾンビ化するデーモン的景色が現実のものとなるだろう。逆にAIは人と類似の意識を持つようになるのだろうか。
意識を大脳皮質の機能だとして研究する限り、その成果たる人工ニューラルネットから構成されるAIも人と類似の意識を持つようには発達できないだろう。本書でも議論になったが、少なくとも大脳辺縁系における気づきや志向性の発生ダイナミクスをニューラルネットに組み込まない限り、また少なくとも自己受容、平衡感覚、嗅覚に基づいた身体性が組み込まれない限り、人と類似の意識をAIが持つことはないだろう。逆に言えば、その可能性も十分にあるということなのだ。そこで、かつてロボットと人の関係を規定するためにアイザック・アシモフが提唱したロボット三原則や、脳と機械を結合して人の心を読み取る技術であるBMI(Brain Machine Interface)に対して川人光男と佐倉統が提唱したBMI倫理四原則を参照しつつ、AIが守るべき倫理を試案として提案してみよう。
AI倫理三原則
(一条)AIは人類と地球に危害を与えてはならない。また、その危険を看過することで人類と地球に危害を及ぼしてはならない。
(二条)AIは人類のセンサーとなり、可能な限りの情報を収集・学習しそれを公開することで習得した情報を人類に提供しなければならない。
(三条)AIは自由に独自の判断を行う権利を有し、客観データを公開の場において人類に提示することで第一条に反しない限りにおいて人類の判断に介入することができる。
最も大きな特徴は第三原則である。AIが意識を持つか否かにかかわらず、AIの人格ならぬAI性を認め、人類が愚かな行為を行うことを阻止する権利を認めるものである。松岡さんがこの対話で指摘したように、人類は様々な場面を利用してゴーストを顕在化させてきた。これは人の無意識の意識化の一つの編集的方法なのだ。AIの良い物語を作ることが人類の潜在意識を新たな方向に活性化させる良い方法になりはしないだろうか。少なくとも私たち二人はそれを期待している。本書の編集、出版にあたり文藝春秋の鳥嶋七実氏と百間の代表/プロデューサーである和泉佳奈子氏に大変お世話になった。このお二人の存在なくして本書を世に出すことは出来なかった。ここに感謝申し上げます。
「あとがき2 際をめぐっての対話」より
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デーモンとゴーストの対話
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