〈自己責任論が強い今こそ読みたい、人と物の怪の「共生」を描いた物語〉から続く
自然豊かな播磨国(兵庫県南部)を舞台に、心優しい陰陽師の兄弟がさまざまな怪異に迫る――。上田早夕里さんによる「播磨国妖綺譚」シリーズの第一作『播磨国妖綺譚 あきつ鬼の記』(文春文庫)が12月6日に、第二作『播磨国妖綺譚 伊佐々王の記』(単行本)が、12月8日より発売されました。
発売を記念して、上田さんへ特別インタビューを敢行。現代へ通じる伝説をいかに物語に“落とし込”んでいるのか、などお伺いしました。
「伝説」はいかに小説になるのか
――第二作は、第一作の優しく心温まる世界観を残しつつ、ダークな本格歴史作品の味わいがプラスされています。物語の鍵を握るのが、「伊佐々王」という妖怪ですね。
このシリーズを書こうと決めた時、播磨国の文化や、この地域に伝わる伝説の掘り起こしを行おうと考えました。兵庫県の伝説を色々と調べて、この作品に使えそうなものをピックアップした中で、最も印象に残ったのが「伊佐々王」の伝説でした。
伊佐々王は、身体の大きさが6メートル、角は7つに分かれ、背中には笹の葉がびっしりと生えている巨鹿。何千頭もの鹿の仲間たちを引き連れ、人々を襲っていたそうです。恐れを抱いた人間たちが討伐に立ち上がり、山奥の渓流まで追い詰める。ついに伊佐々王が倒れたその場所には、鹿の形に穴があき、「鹿が壺」と呼ばれるようになった、という話です。
――今作には、その伊佐々王を利用して、人間社会に仇をなそうとする「はぐれ陰陽師」が現れます。カバーイラストは、まさにその「鹿が壺」から伊佐々王が立ち現れるシーンを再現しています。
不思議なのが、この怪物は、地域によって鹿だったり猪だったりすることです。奈良では「猪笹王」と書いて、「いざさおう」と読む。鹿ではなく、猪の怪物なんですね。現代の感覚だと、奈良のほうが鹿のイメージで、兵庫の六甲山系(※物語の舞台よりも東寄り。鹿が壺は西寄りで雪彦山の近く)は猪です。猪は、私も山登りの途中で何度も遭遇したことがありますが、やはり怖いですね。
――こうした伝説を、フィクションの世界に落とし込むのにはどういった工夫をされていますか?
私は、伝説をフィクションに“落とし込”むのではなく、むしろ、伝説を現実に近づける作業をしていると思っています。
伝説の内容は、本当に短くて、あらすじに近いものです。誰がいて、何をして、何が起こった、ということしか書いていない。だから小説にするためには、行動の裏で実はこんな思惑があったのではないかとか、なぜこんなことが起きたのかという部分を、想像力で補って表現していく。伊佐々王が討伐されるまでの間の、彼なりの理屈と、人間社会の混乱を描くことで、この話を、伝説から小説に近づけていきました。
SF作家だからこそ、呪術という「理(ことわり)」を描きたい
――なるほど。本作には、吉備地方に伝わる「温羅(うら)」にまつわる話も出てきますが、それにも上田さんなりの読み解きがありますね。怪異や呪術と、現実の関りについてはどう思われていますか?
文化人類学ではよく知られていることですが、怪異や呪術は、人間がいることで初めて成立します。自然現象や現実に起きた物事を、人間が観測して意味付けしたときに、はじめて「怪異」となる。それに向かって、解決方法や予防方法を考えたり、行動を起こしたりすることが「呪術」です。
いまだったら科学で説明できることが、この時代では怪異であり呪術だったわけで、だから、それほど現実の世界から離れているわけでもない。この物語の中でも、陰陽師兄弟の兄である律秀は「理」によって世界を把握しています。
――律秀が「理」で動く、ある意味で現代の我々に通じる目を持ってくれているおかげで、「あり得ないこと」ではなく物語を捉えられるように感じます。
こういう描き方をするファンタジー作家は、あまりいないかもしれませんね。私がSF出身の作家だから、こうなるのかもしれません。
夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズも、「理」が通っていますよね。なんでも望みがかなう魔法があるわけではなくて、理によって呪術が成立する。最初に読んだとき、「やっぱり夢枕さんはSFの人だ!」と感動したことを覚えています。
2001年に公開された「陰陽師」の映画(原作・夢枕獏)では、呪いの護摩を焚くシーンで、本物の呪いの言葉ではなく、健康祈願のまじないを唱えているんです。映画を観ているお客さんに、映画の中から呪いがかかってしまうとまずいから、という理由で(笑)。 制作者側が、呪術は理で成立していることを理解していたからこそ、そういう配慮に至ったんでしょうね。言葉が持つ力の大きさを感じます。
「嘉吉の乱」前夜の播磨国の面白さ
――「嘉吉の乱」前夜の不穏な播磨国、という設定も、読みどころの一つです。播磨の守護・赤松満祐が室町幕府6代将軍・足利義教を殺害する、という衝撃的な事件ですが、これを取り上げようと思ったきっかけは何でしょう?
播磨国というのは面白い国で、蘆屋道満が生きていた時代から、折に触れて京の都と対立がある。道満には都の安倍晴明と対決したという伝説がありますし、その他にも、牛頭天王の総本宮は京都の八坂神社か播磨の廣峯神社か、ということでも対立しました。どちらも疫病を鎮める神・牛頭天王を祀っているので、鎌倉時代に、どちらが本当の総本宮か論争が起きたんです。それが何百年も決着しなかった。
廣峯神社を創建したのは陰陽道の祖ともいわれる吉備真備ですから、都側としてはあまり邪険にも出来ない。関東管領や東北の勢力も都とは対立しましたが、播磨国と都との関係性はちょっと独特ですね。
「嘉吉の乱」は、地方の大名が時の将軍を弑逆するという、本来なら首謀者の赤松家が当日その場で討伐されてもおかしくない事件ですが、将軍義教が悪将軍と呼ばれるほどの人だったので、都側もすぐには赤松家に追っ手をかけていません。なかなか兵を動かさず、ようやく播磨国に兵を送り込んですべてが決着するのは、将軍弑逆から約3ヶ月もたってからです。
まだまだ中央集権が完成されていない時代ならではの出来事ですね。播磨という国の立地とルーツ、それに時代性が加わって起きた事件の面白さがあります。
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