卓抜した人間力で日本最大の新宗教団体を築き上げた稀代の指導者・池田大作は、いかに組織を統率し、拡大させたのか。
ここでは、専門誌『宗教問題』編集長・小川寛大氏の新刊『池田大作と創価学会 カリスマ亡き後の巨大宗教のゆくえ』(文春新書)を一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)
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1958年4月2日に58歳で病没した創価学会第2代会長・戸田城聖──後に3代会長となる池田大作の師である──の遺体は、特に何らかの処置を施したわけでもないのに死後1週間、まったく腐敗しなかったという。荼毘(火葬)に付されたのは4月8日のことだったが、そのとき「棺の中の戸田の顔は微笑み、輝いているように見えた」と、創価学会側のいわばプロパガンダ本である池田大作著『人間革命』第12巻「寂光」の章は記している。
本当にそんなことがあったのかどうかは、わからない。ただ創価学会のなかで、「戸田先生の遺体は腐敗しなかった」「その死相はどこまでも安らかで、笑っているかのようだった」という“伝説”が語り継がれてきたのは、事実である。
「法罰論」という概念
創価学会は1930年、小学校の教師などをしていた牧口常三郎という人物によって、東京で設立された宗教団体だ。設立当初は「創価教育学会」と名乗っていて、日蓮正宗という日蓮系仏教を信仰していた牧口が、その宗教理論と教育学を折衷させ、教員仲間と独自の教育理論を話し合っていたような集まりだった。すなわち創価学会はまず、日蓮正宗という既存の宗教団体の信者組織という形で出発したのだが、現在の創価学会とはいささか趣が異なる団体だった。
ただ、この牧口が説いた宗教理論として注目されるものに、「法罰論」という概念があった。何かの宗教を信じれば、その信者にはいいこと、すなわち功徳がもたらされるというのは、創価学会に限らず、この世にある、ほぼすべての宗教団体が主張することではある。しかし牧口はその一方で、日蓮正宗の教えを信じず、またその教義内容を批判するような人間には、罰が当たるということも主張した。これを「法罰論」という。
「入会しないと、あなたは不幸になる」というロジック
かつて創価学会が大々的な折伏(布教)運動を展開した際、現場の会員(信者)たちはしばしば、「創価学会に入れば、あなたは幸せになる」といったこと以上に、「創価学会に入会しないと、あなたは不幸になる」といったロジックを用いた。これが勧誘を受けた人々にはまるで脅迫のようにも感じられたことから、創価学会の折伏運動は一般的に評判が悪かった。しかし、そのような創価学会員たちの発言の根底には、この牧口の法罰論があったわけなのである。
創価学会に入会しないと、あなたは不幸になる、おかしな病気にかかる、ロクな死に方をしない……。こういったことは、創価学会の折伏の現場で実によく使われたフレーズだった。となると、その創価学会のトップだった戸田城聖が、“おかしな死に方”をするはずはない。だからこそ、戸田の遺体が死後1週間にわたって腐敗しなかったなどという、科学的にはにわかに受け入れがたい話も、「偉大な戸田先生の伝説」として信じられてきたのだろう。そうした歴史的背景のせいか、創価学会の、特に古参会員になると、ある人が亡くなった時に「死因は何だったのか」「死相はどのような感じだったのか」などといったことについて、割と気にする人もいる。
あっさりとしたカリスマの死
さて、その戸田の弟子で1960年から創価学会第3代会長を務め、1979年からは同会名誉会長の座にあった池田大作は、2023年11月15日に、95歳で死去した。
しかし筆者が本書を執筆している2024年1月現在において、池田がその最晩年、どのような生活を送っていたのか、特にその死去前後の様子がどのようなものだったのかについて、『聖教新聞』をはじめとする創価学会の関係機関紙類は、特に詳しく報じていない。死因についても、「15日夜半、老衰のため、東京・新宿区内の居宅で霊山へ旅立たれた」(『聖教新聞』11月19日付)とされており、例えばガンだったとか、心臓病だったとか、何か具体的な病を患っての死去だったとはされていない。
そもそも池田の死去が公表されたのは、11月18日の午後のことだった。それまで世間一般はもとより、創価学会内でもごく一部の最高幹部を除き、池田死去の情報は共有されていなかった。実は11月18日とは創価学会の創立記念日とされている日で、当日の『聖教新聞』を見ても、お祝いムード一色だ。18日の午後に創価学会側が発表したところによると、池田の葬儀は近親者のみを集めた「家族葬」として、すでに11月17日に行っており、18日の午前には、その遺体を火葬したのだという。
語り継がれる「死に顔」
創価学会第2代会長・戸田城聖は、1958年の3月中旬ごろから体調を崩し、日蓮正宗総本山・大石寺(静岡県富士宮市)内で床に臥せるようになった。4月1日になって東京の日大病院に入院し、すでに述べたように翌2日、58歳の生涯を閉じた。死因は急性心衰弱だったと、創価学会として当時発表している。3月中旬から4月2日の死去までには、当時の学会幹部などが戸田のもとを見舞いに訪れており、その死の床で池田大作と語らったなどといった逸話が、いろいろと残されている。そして前述のように、戸田の遺体は1週間を経ても腐敗することなく、棺は創価学会員たちに担がれて火葬場まで送られ、またその死に顔について「戸田の顔は微笑み、輝いているように見えた」と、語り継がれているのである。
それに比べると、池田大作の葬送は、ずいぶん淡泊なものだったと言わざるをえない。何しろその葬儀は近親者のみで、“ひっそり”と言ってもいい形で行われ、一般会員層も含め、世間の多くが池田の死を知ったとき、その遺体はすでに火葬されていた。
創価学会としての池田の葬儀「創価学会葬」は2023年11月23日、東京都豊島区の創価学会・東京戸田記念講堂で執り行われたが、直接の参列が許されたのは幹部層のみで、多くの会員は、それぞれの地区の会館で中継映像を見る形となった。1958年4月8日に行われた戸田城聖の告別式には12万人が、同20日に行われた創価学会葬には25万人が参列したというのだから、単に規模という面から見て、池田の葬送は戸田のものより小さかった印象が強い。また、池田の創価学会葬について報じた2023年11月24日付の『聖教新聞』によれば、会場の祭壇には「池田先生の遺影」が映されていたとあるだけで、遺骨がその場にあったという記述もない。
最晩年の暮らしは?
2023年11月15日に、池田大作という一人の人間が、その生涯を閉じたことは事実である。しかし、その葬送において、池田大作という人物の“生身”は、ほとんど意識されることはなかった。最晩年はどういう暮らしをしていたのか、具体的にどういう状況で亡くなったのか、火葬に至るまでの経緯はどのようなものだったのか……そのような細かい情報は、2024年1月現在、ほとんど明らかになっていない。もちろん今後、時間が経つにつれて、創価学会として徐々にそうした逸話を公開し、新たな池田の伝説がつむがれていく可能性は大いにあろう。しかし、“死に様”を、その信仰のあり方からも重視する宗教団体のカリスマの死にしては、何かとてもあっさりとしたものを感じざるをえない。それが池田の訃報、および葬送についての情報に接しながら、筆者が持った偽らざる感想だった。
ただ、それも仕方なかったのかもしれない。何しろ池田は死に至るまでの十数年、どのような心身の状態にあり、どこで何をしているのか、そのような具体的情報がほとんど存在していなかったからだ。
事実上の“引退宣言”
2010年6月3日のことである。この日行われた創価学会の本部幹部会(創価学会の最高幹部たちが集まって行う会合)において、いつもなら顔を出す池田の欠席が伝えられ、創価学会会長の原田稔が「昨夜、本日の本部幹部会について、池田先生から指導がありました」と切り出し、池田からのメッセージであるという、こんな文書を読み上げた。
明日の本部幹部会については、弟子の君たちが、団結して、しっかりやりなさい。皆が、創価学会のすべての責任を担って戦う時が来ているのである。学会の将来にとって、今が一番大事な時である。ゆえに、私を頼るのではなく、君たちが全責任をもって、やる時代である。私は、これからも君たちを見守っているから、安心して、総力を挙げて広宣流布(引用者注・社会全体への布教)を推進しなさい。
(『聖教新聞』2010年6月4日付)
その後、同年11月に東京都内で行われたアメリカの大学からの博士号授与式に出席したのを最後に、池田は公の場から一切姿を消してしまう。まさに、2010年6月の本部幹部会で読み上げられた池田からのメッセージこそは、彼の事実上の“引退宣言”であった。
憶測報道もあった
それからも、例えば『聖教新聞』などには、「最近の池田先生のお姿」といった写真が何度か載ることはあった。ただし、池田はもともとでっぷりした体格の人物だったのだが、明らかに体形はやせていっており、またサングラスをかけて写真に納まるなど、詳しい表情がよくわからないものも増えていった。遂にはその写真は近影ならぬ遠影のごとく、遠くから写したものとなっていき、もはや本当に本人なのかもよく判別できないものと化していく。
もっとも“引退宣言”を行った2010年6月時点で、池田は82歳の高齢者であり、心身の調子が悪いことは事実だったのだろう。その後、「池田大作はいま何をしているのか」といった憶測報道も多々出回ったが、それらは脳梗塞、認知症など、脳関係の障害だとするものが多かった。それらが裏付けのあるものだったかどうかはわからないが、“引退”後の池田が表に出られない状態にあったことはうかがえる。
筆者が創価学会関係者らに取材したところによれば、池田はそれでも2015年ごろまでは、折に触れて一部の最高幹部らに自らの意思を伝えることもあったようである。しかし、それ以降は完全な引退状態となり、「池田名誉会長はすでに実務にはノータッチ」と、あけすけに語る幹部なども増えていく。そして確かに、それと調子を合わせるように、創価学会は組織として、さまざまな改革を行っていくことになるのである。
(文中一部敬称略)
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