音楽、絵画、小説、映画など芸術的諸ジャンルを横断して「センスとは何か」を考える、哲学者の千葉雅也さんによる『センスの哲学』。「見ること」「作ること」を分析した芸術入門の一冊でもあり、『勉強の哲学』『現代思想入門』に続く哲学三部作を締めくくる本書は、2024年4月の発売以来、累計55000部のベストセラーに。
『寝ても覚めても』『ドライブ・マイ・カー』などの監督作で知られ、話題の最新作『悪は存在しない』に続き、映画論『他なる映画と』全2冊を出版した濱口竜介監督との対談が実現。大学時代からの旧知の仲でもあるというふたりの待望の初対談は、「鑑賞と制作」(見ることと作ること)の深みへと展開した。「文學界」(2024年9月号)より一部抜粋してお届けします。
大学時代の二人の出会い
濱口 人によっては意外な組み合わせだと思うかもしれないですが、千葉くんと私は同い年です。誕生日が2日違い。私が浪人したので1学年違いますが、大学時代からの付き合いです。 まず出会いの話からしたいのですが、『センスの哲学』の中にも出てくる、東大の松浦寿輝先生の映画論の授業でした。
自分が大学の1年で授業の初回だったと思うんですが、ロベール・ブレッソンの『ラルジャン』という映画の抜粋を見せられて、見終えたら松浦先生に「今、何ショットありましたか」と問われ、ええっ、そんなことを聞かれてもって思っていたら、斜め前の金髪の人がぱっと手を挙げて「12ショットです」と答えた。なんか嫌なとこ来ちゃったなあ、という気持ちになりました(笑)。映画研究会に入ったら、その金髪の人がいて、それが千葉くんでした。
千葉 そのショットのエピソード、ブレッソンだったかはよく覚えてないんです。だけど、松浦先生の授業でそういうことがあったのは覚えてる。たぶん、何が映画論で求められているかの前知識があった。だから数えてたの、最初から(笑)。
濱口 まあそういうきっかけで知り合い、卒業制作でもないんですが『何食わぬ顔』という大学在学中の2002年に撮った作品で、千葉くんに音楽をやってもらったりとかしました。卒業後も、20代後半は千葉くんの友達とルームシェアしてたので、付き合いが続いていた。千葉くんの印象は、率直に言えば結構ずっと怖かったですね。高校時代の友達と喋るノリやスピードが速過ぎて。格別アカデミックな会話をしているわけではなくて、ユーモアのある会話をしてるわけなんだけど、全然付いていけなかった。しかも自分がなんか言ったら、ちょっと止まったりするし(笑)。
千葉 ちなみに僕の出身は宇都宮高校でして、略して宇高と言うんですが、濱口監督はその同級生たちと一時期ルームシェアをしていた。だからこっちに引き付けると、実は濱口監督も宇高文化圏の一部という。
濱口 本当に、千葉くんを見上げるようにして見ていた。だから今、千葉くんがこうなっていて、単純にすごい人だったんだ、と安心してるんです。大学とかで同年代のすごい人に打ちのめされている人は安心してください。そういう人はただのすごい人である可能性が高い(笑)。
千葉 そう言ってる濱口監督が、アカデミー賞受賞者であるわけですよ。
濱口 そういうパターンもある。私は鋭いところのない人間ですけど、そういうこともあるので、諦めずにやっていきましょう。
『勉強の哲学』のわかりやすさの衝撃
濱口 それで、『センスの哲学』の話に入っていく前に、同じ編集者と作ったという『勉強の哲学』の話から少し。そういう印象もあったので読んだときに「千葉くんがこんなに分かりやすく書いてくれている!」という衝撃がありました。こういうものを知っておかなくてはいけませんよ、ということを、砕いて、順序立てて、読者に向けて書いてくれている。これは『現代思想入門』とかにも言えることなんですけど、読んでいてメモを取ろうとしたら、すでに次の行でまとめてくれている、という感覚。『動きすぎてはいけない』は正直言えば途中で挫折をしてしまったんだけれども、『勉強の哲学』『現代思想入門』『センスの哲学』を読んだ今だったら、すらすら読めるかもしれない。
千葉 ありがとうございます。『勉強の哲学』は大きな転機になったもので、あのときに、自分が考えていることを率直に書こうという仕事の仕方に変わったんです。それで『センスの哲学』では、特に芸術、自分のベースにある美術を中心に、芸術全般を論じることになりました。美術、音楽、そして映画もちょくちょく出てきますね。あと、食べること。そのあたりを総合的に、率直に書きました。生活の中で感じる美的感覚を、どういうふうに捉えてもらうか。それが狙いだったわけです。
濱口 ラウシェンバーグの絵を餃子に例えるのからして、本当に分かりやすいですよね。絵や文章はリニアだけれども、食べたり絵を見る体験は、リニアなものではない。もちろん餃子を食べたときの味の体験は、細かく見ればリニアにできるけど、それを一度全部要素を書き出して、文章として連ね直してくれているような感じがある。だから、この本を読んでいるときは頭が良くなったような気がする(笑)。
本ってそもそもそういう、思考を肩代わりしてくれるところがあると思うんですけど、先達が考えてくれた思考を追うことで、自分がすぐに消化できるものになっている。それがどれだけありがたいことか、どれほどの労力であろうか、ということを千葉くんの近作から感じています。
『悪は存在しない』と『センスの哲学』の共振
濱口 もうひとつ、自分にとってありがたくて、これはぜひ言いたいと思ったのは、私の最新作『悪は存在しない』は、よくわからない、という感想をいただくことが多いですが、『センスの哲学』を読んで、見ていただければ分かります(笑)。
千葉 今回、ネットを見ていて、『センスの哲学』を読んでから『悪は存在しない』を見たことがよかったという感想が複数ありました。僕の感想をお伝えすると、『悪は存在しない』はかなり抽象的なところがありますよね。もともと作曲家・石橋英子さんから映像作品を依頼されたところから始まっている。だから、ややうがった批評をする人は、ある種MV的な面がある、みたいなことを言ってもいる。そこまでは言わないとしても、物語をどう展開するかということだけじゃない、僕の本で言っているような、リズムの側面がある。そういう捉え方でいいのかしら。
濱口 そう見ていただけるように作ったつもりではあります。その映像が持っているリズム、それにプラスして音楽が持つリズム。もしくは自然音も含めたものの音楽的なリズム。違う言い方で言うと、フォルム。そのフォルムがどうやって継起的に変化して、緊張感や衝撃を観客にもたらすのか、自作の中でもそういうことを自覚的にやっている映画だと思います。それを千葉くんは意味の手前にとどまる、という言い方をしている。映画の意味を考えることもある程度、面白いように作ってはいますが、その意味が宙吊りになるようにもしている。
今回は石橋英子さんから依頼を受けたのも大きいですが、やっぱり映画って音楽に憧れる、その抽象性に憧れるようなところがあると思うんです。音楽って意味を考えずに聞きますよね。理想を言えば、『悪は存在しない』も音楽を聞くような見方をしていただけると、一番いいかなと。『センスの哲学』はその見方をガイドしてくれている。
千葉 ネタバレにならないようにですけど、ラストはかなり象徴的なものですよね。象徴的って言うと、それこそ深い意味があるということになっちゃうけど、あれをどういうふうに取るかは、いろいろでいい。最後は何か、パーッとしていく……みたいな、そういうもので僕はいいと思っています。でも、ラストがパーッとしているのが駄目な人もいるんだよね。例えば僕の『エレクトリック』という小説もそうで、濱口監督は、最後、すごく気持ち良く駆け抜けていくっていう感想をくれたじゃないですか。
濱口 ええ。『エレクトリック』は最後電気が通じるその瞬間に起きた感情、本当にただそれだけを抱えていただければ、それで十分、楽しめるのではないかと思います。
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