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「命を削るような書き方」から脱却? 阿部智里が語った新作『皇后の碧』での変化と「八咫烏シリーズ」完結への決意

「命を削るような書き方」から脱却? 阿部智里が語った新作『皇后の碧』での変化と「八咫烏シリーズ」完結への決意

文藝出版局

『皇后の碧』(阿部 智里)

出典 : #文春オンライン
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 デビュー作『烏に単は似合わない』以来、絶大な人気を博している「八咫烏シリーズ」の作者・阿部智里さん。このたび、謎が謎を呼ぶ新たな物語『皇后の碧(みどり)』を上梓しました。

 本作品の完成までの道のりと、ちりばめられたモチーフの深層、そして作家として次のステージへ……飛翔を続けるファンタジー作家に迫ります。

◆◆◆

アール・ヌーヴォーが新しい世界のモチーフに

――新刊『皇后の碧』の刊行までにはずいぶん長い時間がかかったそうですね。

阿部 アリバイというか、最初のプロット(構想)が記録として残っているのは2016年なんです。でも、その前に何度か打ち合わせもしていたはずなので、ひょっとしたら10年近くの時間をかけて、2025年5月末にようやく発売となりました。

2025年5月29日発売の『皇后の碧(新潮社)』

――日本神話に登場する三本足の烏たちが主人公の「八咫烏シリーズ」に対して、今作は、「風」「火」「水」「土」という四大元素をもつ精霊たちが主役です。表紙の印象や登場人物たちの名前から見ると、西洋風のファンタジーなのでしょうか。

阿部 私としては東洋ファンタジー的な要素もかなりあると思っています。そもそも、最初の頃は中華ファンタジーにしようと考えていたんです。でも、中華ファンタジーは以前から大変な人気があり、素敵な先行作品もたくさんあります。果敢に挑戦されて新しい中華ファンタジーを産みだされるすごい作家さんもいらっしゃいますが、私にはそんな自信はなく、今から挑戦しても、きっとどこかで見たような設定になってしまうだろうと思いました。ならばいっそ、私だからこそ書ける新しいファンタジー世界に挑戦しようと模索した結果、「アール・ヌーヴォーを自分なりに解釈した世界」に辿り着いた感じです。

 ファンタジーというものは、何でも好き勝手が出来るように見えて、実は一から創り上げたオリジナル設定だと、読者はなかなかついてきてくれません。何だか馴染みがある気がするけれど、初めて見たという感覚になるくらいの塩梅が私の理想なんです。19世紀末から20世紀初頭にかけて大流行したアール・ヌーヴォーは、非常に視覚的で、今の人に対してもすごく魅力的な美術様式なんですよね。実際に日本でも関連する展覧会が頻繁に開かれますし、ミュシャ展だけでも何度も開催されています。

 アール・ヌーヴォーという風潮は、美しくありさえすればいい……それが商品宣伝、いわば広告のためでしかないと一時期批判されたこともあったようです。けれど、美しいものは力が強くて、時代を越えて人々を惹きつけてやみません。『皇后の碧』の中でも「創造手はただ『美しくあれ』と命じた」と書きましたが、作品の中で美しさとは何かを考えることが、アール・ヌーヴォーを私なりに書く上で、取り組むべきテーマのうちのひとつだったんです。

 

 いろいろと調べてみると、アール・ヌーヴォーというものは1900年頃の成立に至るまで、新古典主義だったり、ロココだったりグロテスク、さらに宗教美術も含めて、長い時間をかけて築かれた文化の蓄積から、当時の人々が己の好みの部分、魅力的だと感じた部分を選び抜いて、言わば「いいとこ取り」をして出来上がった終着点のような気がします。その文化の中には、オリエンタリズム、シノワズリ、ジャポニズムといった、西洋的な視点から見た東洋的な要素も含まれているわけです。それに気付いた時、アジア人である私が、私なりの解釈で描いても許される余地がアール・ヌーヴォーにはあるのではないかと思いました。
 
 だからこの作品は、登場人物たちの名前はカタカナなので一見西洋風ファンタジーに見えますが、実は東洋的な要素がふんだんに入っている物語だと私は思っているんです。 

4人の女性が寵愛を競う後宮ものが再び!?

――本作のストーリーは、主人公のナオミが、風の精霊を統べる皇帝から「私の寵姫の座を狙ってみないか?」と誘われ、後宮に入るところから大きく動き出します。しかしすでに皇帝には皇后と2人の愛妾がいるという設定は、4人の美姫たちが后の座を競う『烏に単は似合わない』と共通点が多いのでは?

阿部 まったく否定出来ませんね(笑)。私はそうした要素が大好きなので、同じモチーフを性懲りもなく書いてしまいました。キラキラした女の子や、格好いい女の子たちがわちゃわちゃしているのが、根本的に好きなんですよね。同じような後宮ものをまーた書いているよと言われちゃうかもしれませんが、まあ、自分の中では明確に違うものですし、好きなものは何度書いてもいいでしょと思っているので、たとえ2回でも3回でも、納得いくまで書いてやろうと今は開き直っています(笑)。

©kokumo https://x.com/k5k9no

 今回は四大元素というモチーフがあったので、それを表現するにふさわしい、高位の風の精霊である皇后イリス、火の精霊で第一寵姫フレイヤ、水の精霊である第二寵姫ティアを、素直に自分好みに書きました。皇帝である蜻蛉帝シリウスや孔雀王ノアに関しては、アール・ヌーヴォーで好んで描かれた動植物のモチーフから採りました。ルネ・ラリックの作品などを参考にして、蜻蛉の精の作品からシリウスのイメージを膨らませたり、雄であることを誇るものの象徴として孔雀を選んだりしたわけです。
 
 舞台となっている「鳥籠の宮」「巣の宮」にしても、精霊達にしても、参考とさせて頂いたものはたくさんあります。作者に見えないものは読者にも見えないと思うので、書き始める段階で、自分ではっきり光景が見えるようになってから、描写をするように心がけたつもりです。

驚かせるだけではなく、「おもてなし」の精神で

――阿部さんのこれまでの作品は、「予想を裏切る」展開で、読者を大いに驚かせてきたことも特徴だと思うのですが……。

阿部 それが、今は「やりすぎたな」と反省していまして……(笑)。同じようなモチーフでも『烏に単は似合わない』の時には、どうしても賞を獲りたい、作家デビューしたいという気持ちが強くて、読者の方を傷つける方向に行ってしまったとは、自分でも分かっているんですね。デビューして10年以上が過ぎ、もう私は傷つけるばかりではなく、読者をおもてなしすることもできるようになったかな、と(笑)。

 どんでん返しが持ち味になってしまうと、読み手側に「どうせひっくり返るんでしょう?」と思われて、逆に意外性はなくなってしまいます。もう私のこれまでの手法は、私のファンになって下さった方には通用しないんですよ(笑)。だから『皇后の碧』は、適度に謎解きの要素をまじえつつも、読者の方を王道でもてなすつもりで書きました。ただ「八咫烏シリーズ」はもう何をやっても手遅れというか、今からのおもてなしはどうあっても不可能なので、最終巻まで諦念込みで突っ走っていきます(笑)。

デビュー作の『烏に単は似合わない』から続く「八咫烏シリーズ」は240万部を突破

 一方で、阿部智里ならではの作家らしさというものもあるべきだとは思っています。作品の中に何かしら、私なりの問いかけがあることがそれにあたるかな。たとえばアール・ヌーヴォーというモチーフにしても、最初は無邪気に女性が主役の時代だと捉えていたんです。ところが調べていくうちに、あの時代は女性の身体というもの、女性の美しさというものを利用し、消費していた側面もあったことに気付きました。その時点で、アール・ヌーヴォーを私の視点で解釈して描くならば、この問題点を無視することは出来ないと思いました。単に女性達の活躍を描いて満足するのではなく、消費する側、される側の問題意識も含めて、女性を描かなければならないと思ったんです。

 

 ネタバレになるので詳しくは話せませんが、作品の根本となる大きなテーマに関しても、当初は時代遅れのものかもしれないと考えていました。誰もが分かり切っていることだけど、大事なことだから何度言ってもいいだろうとプロットを組んだつもりだったんです。ところが構想を温めている10年間の間に、世界情勢のほうが大きく変わってしまった。とっくに分かり切ったはずだった原理原則、時代遅れのはずだったテーマに、まったく意図していなかった現代性が生まれてしまったんです。不思議な偶然ではありますし、素直に喜べない話ではあるのですが、新刊としてこのタイミングで世の中に送り出せたというのは、大きな流れの中で、私個人では抗えない必然的な何かがあったようにも感じています。

新しい執筆スタイルはサスティナブルに!?

――この作品を書き上げる10年間の間、ご自身が大学院を修了したり、コロナがあったりで執筆スタイルに変化はありましたか。

阿部 自分の作品を世に出すには、ある種の覚悟を持たなければならない、という姿勢自体は全然変わっていません。ただ、生活スタイルは明らかに健康的になりました(笑)。大学院との二足の草鞋を履いていた頃は、書ける時にとにかく書くといった具合で、一晩で原稿用紙何十枚分も書いて、そのあとの2、3日は逆に動けなくなるような、命を削るような書き方をしていました。栄養は学食で摂る、文春さんに泊まり込んで睡眠をとる、といったような感じでしたね。

 ただ、大学の博士課程は作家との兼業が通用するほど甘いところではなかった。私の力不足に関しては悔しい部分もありますが、そこを手放したことで、作品に集中出来るようになったのは、結果的に正解であったと思っています。今は、博士課程に挑戦してよかったし、諦めてよかったという両方の気持ちでいます。

 諦めたおかげで、無茶な書き方も変えることが出来ましたしね。生活基盤が整ったことや、作家仲間のアドバイスもあって、構想さえ整っていれば、数日に分けて少しずつ書くことも可能ではと気付いたんです。それだったら一気に何枚も書くより、数日に分けて書いた方が絶対健康的ですよね。

 

 これまでは刊行スケジュールに合わせられるかは、博打みたいなものだったんですよ。私自身、いつ突然書けるタイミングが来るかは分からないし、間に合うかも分からない。最後に帳尻を合わせられるかは出たとこ勝負という、編集さん泣かせな作家でした。でも、今は構想さえしっかり出来ていれば書き上がりの目途が立つようになってきました。10年前に同じアドバイスを受けてもきっと同じことは出来なかったでしょうね。いろいろと経験が出来たからこそ、今の形に辿り着けたのだと思っています。

続きは書きたいし、「八咫烏シリーズ」の終局も…

――いよいよ『皇后の碧』が出版されて、今後の構想などはあるのでしょうか。

阿部 まず、『皇后の碧』に関して言うならば、もう原稿は手を離れているので、「あとは野となれ山となれ」といった感じですね(笑)。結局のところ、作家に出来るのは原稿を仕上げるところまでで、私は私に出来るタイミングで、全力をすでに尽くしました。校了した時点で、作品にしてあげられることはもう何もありません。どんなふうに評価されるかは、もう私にはコントロール出来ない次元にある話ですから。

 有難いことに「続編は?」というお声も頂いていますが、この世界観であることを利用したどんでん返し的なギミックはもう期待出来ないですし、そもそも、この本が売れないことにはどうにもならないので(笑)。とにかく、今は動向を見守っている感じです。もし続きを書かせて頂けるのであれば、この世界を舞台にした物語の構想自体は結構あります。時代ごとの設定もいろいろありますし、違う種族側からナオミ達を見るといったテクニカルなこともいくらでも出来ますしね。10年かけて築いた世界には愛着がありますし、続きを書けたら嬉しいです。

 ただ、この世界に限らず、他にも違う世界観のファンタジーの構想はあるので……「八咫烏シリーズ」が完結した後、文春さんで書く予定のシリーズもありますしね(笑)。何をどういう順番で出すか、版元さん側のご都合も悩ましいですし、自分の体力的にもどうなのか……専業になったので、コンスタントに1年に2冊くらいは書けるかもしれないという期待もあったのですが、無理をして生活も仕事も空中分解しては元も子もないので、とにかくその時々の最善を尽くし、自分が良いと思えるものを書けたらと思っています。

 この作品のPR活動の時期を終えたら、さっそく「八咫烏シリーズ」の打ち合わせがあることも分かっています! 6月中旬以降の予定は、編集さんから言われないうちに勝手に空けているので(笑)。私としては意図せずして「八咫烏シリーズ」を終える直前で『皇后の碧』を世に出す形になっちゃいましたが、今更言うまでもなく、「八咫烏シリーズ」の終局に手を抜くつもりは一切ありません。まあ、今後は自分の筆力とプライベートを見極めて、計画的に書いていけたらいいな……っていう、希望的観測ですね(笑)。
 

 

阿部智里(あべ・ちさと)
1991年、群馬県前橋市生まれ。早稲田大学文化構想学部在学中の2012年、『烏に単は似合わない』で松本清張賞を史上最年少で受賞。2017年、早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。2024年、デビュー作から続く和風大河ファンタジー「八咫烏」シリーズで第9回吉川英治文庫賞を受賞。2025年『皇后の碧』刊行、ほかの著書に『発現』など。

単行本
亡霊の烏
阿部智里

定価:1,760円(税込)発売日:2025年03月26日

文春文庫
烏は主を選ばない
阿部智里

定価:814円(税込)発売日:2015年06月10日

文春文庫
烏に単は似合わない
阿部智里

定価:858円(税込)発売日:2014年06月10日

電子書籍
亡霊の烏
阿部智里

発売日:2025年03月26日

電子書籍
烏は主を選ばない【新カバー版】
阿部智里

発売日:2020年08月08日

電子書籍
烏に単は似合わない【新カバー版】
阿部智里

発売日:2020年08月08日

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