住田祐さんの第32回松本清張賞受賞作にしてデビュー作『白鷺(はくろ)立つ』が2025年9月10日(水)に発売になりました。江戸後期の比叡山延暦寺を舞台にした異形の本格歴史小説で、登場人物はお坊さんのみ! ……なんだかハードルが高そうに思われるかもしれませんが、実はそんなことはないんです。

 全国の書店員さんから寄せられたアツいご感想をご紹介いたします。(全3回のうちの1回目)

『白鷺立つ』書影

厳格な空気感に気圧され、現し世と切り離されていくような荘厳な世界観。その、ただならない気迫に、とてつもなく圧倒されました
身分による優遇がもたらす絶望と失望。命があっても、生きている心地がしない虚無の奈落。そんな中で、同じ境遇の2人の僧侶が抱える黒い激情が、ぶつかり合う。その様子に、荒々しい嫌悪と怒りの渦に、呑み込まれていくようでした。
しかし、ある事態がきっかけで、その心象は全く違うかたちへと変容していく。それはまるで、憎しみの根底に見えた、万感胸に迫る寂寞の光。お互いの言葉以上の想いが融合した、声なき思念が、心の深淵に沁みるようです。まさに、俗世から超然した無の境地へといざなわれる、生と死の臨界点を超えた物語。また、苦悶の運命に抗いながら、自身の存在理由と意義を問い、死線の極地へと向かいゆく命懸けの仏道小説。
相手の中に垣間見える強い感情は、自分の心を投影する合わせ鏡なのかもしれない。そんな心情を痛切に感じました。
クライマックスで、最後に辿り着いた景色に、生命をふり絞った、2人の姿が目の前に浮かび上がるようです。そして、愛と憎が織り混ざった心が、解き放たれていくラストに、魂の昇華を感じました。読み終えた今も、2つの気魂の邂逅から開かれた、えも言われぬ静謐で厳粛な余韻が残っています。
人間の繊細で複雑な心と信仰の道が重なり合い、決死の覚悟で自身を探し続けていく、壮絶な作品を拝読させていただき、誠にありがとうございました。読後、言葉が宙をさまよい、しばらく放心状態になるほど、心を揺さぶられました!
紀伊國屋書店福岡本店 宗岡敦子さん

自分の中にその人と同じ苦悩の源をみた時、その立ち位置に対して、嫉妬や怒りがおこることをまざまざとつきつけられた。聖として純粋な心でいようとしても、俗がどうしても惑わせる。同じ苦悩の源を持つから、余計に人より気になり、意識し、自分の正しさを主張したくなる。人は悲しい生き物だ。
苦悩が自分の苦しみのように伝わり、語らせない部分がより気持ちを想像させ小説の世界へと誘う。堂入りに挑むラストに呆然とした。しかしなぜか魂は救われたように感じた。聖と俗をこんなにも細やかに想像豊かに、苦しく、美しく昇華させた作品に心を奪われた。人間の煩悩と仏への道の苦悩が見事に描かれていました。今まで読んだことがない作品、たくさんの人に届けたいです。
ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理さん

最後まで相容れなかったふたりの間には、望む望まないに関わらず断ち切れないものが確かにあった。 憎み妬み嫌悪し反発し、それでもここから退くことは許されない運命の非情さ残酷さ。そして、仏の道の最高峰へと登る理由はなんとも俗っぽく、そんな人間らしさもまた共通していた。 長い年月の彼等のすべてを、この静かな山だけが知っている。自然と目を閉じ手を合わせたラストだった。
アバンテイブックセンター寝屋川店 永嶋裕子さん

大変面白く読ませていただきました。緊迫感があふれる数々の描写に息を呑んだ。いったいなんのためにそこまでやるのだろう。そこにはどんな生まれ、境遇でも俗人と変わらない思いがあるのだと知った。ひとはなんのために生まれて生きていくのかという問いが頭の中にずっと駆け巡っていた。憎み合うふたりの僧がお互いの感情を隠しもせずにいがみ合い長年反発し合ってから迎えるラストが圧巻。読後の余韻が大きくて本当に凄いものを読んだなと思いました。
水嶋書房くずはモール店 ​井上恵さん

人の生きる意味を問う熱き物語だ。
仏僧が挑む過酷な仏道修行。なぜ挑むのか、何のために挑むのか。そこに邪で俗な心はないか、そこにはただひたすらに聖が、清、だけがあるのか。人は嫉妬や妬み憎悪を持つものだ。業を背負ってでもなおかつな清く熱き心をもち己に従って生きいきたいと思う、そこにこそ人生の救いがあるのだと信じたい。
人が進むべき道を示してくれる物語だった。
未来屋書店新浦安店   中村江梨花さん

人々が平伏し崇拝する修行を為せなかった者の嫉妬、未だ為していない者の自信と傲慢さ。 己を律し人間の逃れられない欲に対した結果、悲劇を栄光を一身に受ける悦びに打ち震える様は何と表現したら良いのか。 著者はこの物語を書くために産まれたと言っても過言ではない。
大盛堂書店 山本亮さん

ひたすらに修行に勤しむ僧たちのお話が、こんなにスリリングで面白いと思いませんでした!
想像を絶する修行の厳しさが、彼らの息づかいから伝わってきました。 そして、師である恃照を敬いもしない戒閻の憎たらしさ…! 言動すべてで恃照を蔑んで、可愛げなど微塵もない。最後の最後までぶれない憎たらしさはもう清々しいほどでした。
命を賭して挑んだのではないのかと許せない気持ちはわからなくはないけれど、その気持ちの出どころを追っていったとき、果たして信仰心に辿り着くのだろうか……。それに、厳しい修行を耐え抜くには、信仰心よりもむしろ、肉体的資質こそ必要なのではないか……。修行がまるで顕示欲を満たすための手段であるかのようで、恃照を超えることのみを念頭において行にあたる戒閻は信仰とは程遠いところにいるようにも思えるのに、最後に恃照が戒閻に寄り添ったとき、二人を結びつけるとてつもなく大きな力を感じて、思わず涙がこぼれました
紀伊國屋書店京橋店 坂上麻季さん

まず、小説の舞台が比叡山、そこで行われる“千日回峰行”。かなり特殊で閉鎖的な世界の物語かと思いきや、深い人間ドラマが描かれていた。修行における師弟の関係、それは主人公恃照と戒閻だけでなく2人にかかわる僧たちとの葛藤でもあった。その出自ゆえ、世の中から存在を消されたもの同志、実はお互いを最も理解していながら対立し続けた恃照と戒閻、命をかけて戒閻が恃照に残したものは……そのラストは衝撃と感動が一気にやってくる
平安堂長野店 町田佳世子さん

時々、本を読んでいる途中、そして読み終わった後に泣くとか笑うとか怒るとか、そういう感情とは別の何かが湧き上がってくることがある。 言葉では言い表せない何かが。
第32回松本清張賞受賞の『白鷺立つ』は延暦寺の千日回峰という聖の中でも聖を極めた修行をテーマにしつつ、俗の権化のような「闘い」を描いている。そのギャップと熱と迫力にとにかく圧倒された。帝のご落胤という存在、いや、存在してはいけない身体を持つ二人の僧。彼らが持つ「達せずんば死」という命を懸けた行への執着、お互いへの嫌悪憎悪、その意味を私たち凡人俗人は最後まで知ることはないだろう。もしもそこに「信仰」という強い思いがあったのなら、この小説はもっとわかりやすくシンプルなものとなっていたかもしれない、けれどそのわかりやすく強い思いが見えなかったからこそ、この小説に私たちは心惹かれるのだと思う。
2015年に千日回峰満行を達成し戦後13人目の大阿闍梨が誕生したときのニュースを覚えている。千日回峰についてのドキュメンタリーを見たこともある。それはとてつもない過酷さでちょっとやそっとの覚悟では足を踏み入れることのできない世界である。失敗した時に自害するための「死出紐」と降魔の剣(短剣)三途の川の渡り賃である六文銭を携帯するという。けれど失敗しても死なせるわけにはいかない二人である。帝の血をひく彼らが執着したのは、満行とともに得られる永遠の存在。聖であり俗である、確たるものでありながら隠されている、そういう不確かな自分への唯一のアイデンティティが「名」だったということなのか。うっすらと生まれていた予想をあざやかに覆すラスト。すんげー、と素直に感嘆できる心のアスリート小説。
精文館書店中島新町店 久田かおりさん


『白鷺立つ』のためし読みはこちらから!