『宙色(そらいろ)のハレルヤ』(窪美澄 著)文藝春秋

 月日とともに遠ざかっても、かつての恋心は埋火(うずみび)のように自分の中に残っている。読みながら、いつかの自分の火影を感じた。

 全6篇のうち最初の作品は「海鳴り遠くに」。夫を亡くして3年が過ぎた「私」は海辺で別荘暮らしをしている。ある日隣家に越してきた画家の女性と出会った。

 同性に惹かれる自分を否定したくて男性と結婚したのに、隣人と近しくなるのにそれほど時間はかからなかった。

「恋は盲目」と言うが、理性も常識も失ってしまう状態は恐ろしい。結婚前も夫が亡くなった後も「私」が自制してきたものは正直な「自分」。

 心に素直になって交わる2人は、海を自由に泳ぎ回る魚のようだ。

 やがて恋の「波」は静まっていく。理性と常識を取り戻した後に「自分」を貫けるかどうか。彼女らの水音に耳を澄ませた。

「赤くて冷たいゼリーのように」の主人公は、長年勤めた食品メーカーを退社後、66歳で私立高校の清掃の仕事をしている「自分」。彼は校内のトイレの清掃中、いじめられているらしい男子生徒を見かける。過去に愛した「祐(ゆう)」と男子生徒がふいに重なった。その後、校外で再会した男子生徒・結(ゆう)と交流が生まれ、孤独だった彼の生活は一瞬華やいだ。

 ずっと心に蓋をしてきた。汚れたトイレを掃除する時と同じように。何も感じず、ただの管になったつもりでいないと耐えられなかったから。

 亡き「祐」の話をするうちに泣きそうになると、

「男の人だってもっと泣けばいいと思うよ」

 結の言葉に心の蓋が外れる。涙とともにあふれるのはこれまでの後悔だろうか。本当の自分を偽り、蔑ろにしてきた。涙で流されて残ったのは、誰かを愛する心。

「風は西から」は志望校に合格し、彼女もできて幸福の只中にいた陸が主人公。しかしフラれて休みがちになってしまう。心配した母は夏休みの間、はとこの桃子に息子の食事の世話を頼む。

 陸は桃子の料理に腹と心を慰められ、桃子は陸の食べっぷりに仕事で失った自信を取り戻していった。

 この3篇はどれも手料理を振舞う場面が出てくる。

 相手が空腹を満たすよう、健やかな日常を過ごせるよう、手料理を食べさせる。

 食べることは、生きるのにかかせない行為だ。また相手を食べさせることで、自分自身も満たされる。料理に込められた愛は尊い。

 誰かを好きになることで誰かを傷つけたり、自分も傷ついたりする。いくつになっても人を好きになるのは怖いことだ。

 そういう意味で恋は人生の冒険だ。先で何が起こるかわからないまま、行くことを選んだのだ。多少の傷は覚悟の上。

 臆病で正直な冒険者たちに、心からエールを送りたくなる小説集だ。

くぼみすみ/1965年東京都生まれ。2009年「ミクマリ」で女による女のためのR-18文学賞大賞受賞。受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞、12年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞、19年『トリニティ』で織田作之助賞、22年『夜に星を放つ』で直木賞を受賞。
 

なかえゆり/1973年、大阪府生まれ。俳優・作家・歌手。著書に『残りものには、過去がある』『万葉と沙羅』『愛するということは』等。