2度の結婚と離婚を経て、3度目の結婚を前に漫画家・鳥飼茜さんが直面したのは、法律改正ともなって改姓が阻まれるという制度の理不尽だった。その出来事をきかっけに過去の結婚生活、結婚における男女の不均衡を鋭く描いたエッセイ『今世紀最大の理不尽、それでも結婚がしたかった』を刊行した鳥飼さんを囲み、改姓によるアイデンティティの喪失感を語る作家の鈴木涼美さん、選択的夫婦別姓の実現に向けて最前線で活動する一般社団法人「あすには」代表の井田奈穂さんが、それぞれの結婚・離婚体験を通じて日本の結婚が抱える歪みを語り合う。

 生活能力のない「天才」が愛でられる陰で、誰がその生活の破片を拾い集め、ケアをしているのか。理不尽なシステムに自分を明け渡さず、愛する人と対等な平和を築くための生存戦略とは? 

 3/16(月)に下北沢B&Bで行われたトークイベントを再構成してお届けする。(#前篇/後篇はこちら

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役所の号泣で改姓の理不尽に泣いたあの日のこと

鳥飼茜(以下、鳥飼) 今回の著書『今世紀最大の理不尽、それでも結婚がしたかった』を書くきっかけになったのは、私が名字を戻そうとした際に出くわした「理不尽」としか言いようのない出来事でした。

 私は過去に2度結婚し、その都度相手の名字に変えてきました。ペンネームで活動している以上、それで不便はなかったんですが、2度目の離婚後に前夫の名字を使い続けるなかで精神的に限界を迎え、名字を戻そうと決めたんですね。

 でも、この手続きが大変でした。まず家庭裁判所に氏の変更申し立てを行うのですが、精神的苦痛を証明するために通院記録を提出するといった作業の数々があり、許可が下りた時は「これでようやく自由になれる」とホッとしました。

 ところが、当然ながら許可書を区役所に持っていっても戸籍名が変わるだけで、銀行のキャッシュカードやらパスポートやらの名義変更は個別にやらなければならない。手続きは面倒だし漫画の連載に追われ、許可書を手にした嬉しさもあって私は愚かなことに手続きを2年ほど放置してしまったんです。使用期限もないので良き時に名義変更をしようと。

 そうして3度目の今のパートナーとの結婚の話が持ち上がり、ようやく重い腰を上げて役所へ向かったその日が、なんと戸籍に姓名の読み(フリガナ)の明記を必須とする改正戸籍法の施行日だったんです。私が持っていた許可書にはルビがないので無効になってしまった。

      下北沢B&Bでの刊行イベント時 左から鈴木涼美さん、鳥飼茜さん、井田奈穂さん

井田奈穂(以下、井田) これまで戸籍法は何度も改訂されてスクラップ・アンド・ビルドを繰り返していますが、まさかそのタイミングに当たってしまったんですね。

鳥飼 区役所の窓口の人も申し訳なさそうでしたが、「この書類は二度と使えません。もう一度家庭裁判所へ行ってください」と告げられて。その瞬間、あまりの理不尽さに区役所の屋上で一人、号泣しました。相手の男性は何回結婚しても何一つ変わらないのに、なぜ私はこんなに右往左往しなければならないのか。結局、また一から書類を集め、裁判所に行き、数ヶ月待つという不毛な旅が始まりました。その怒りをぶつけるように書いたのが、この本の第一章なんです。

 鳥飼茜さん『今世紀最大の理不尽 それ  でも、結婚がしたかった』(文藝春秋)

「鈴木」を失って知った私のアイデンティティ

鈴木涼美(以下、鈴木) この鳥飼さんのエッセイを読んだ時、あまりにタイムリーで首がもげるほど頷きました。私は2024年の初めに結婚したのですが、実はそれまでは自分の「鈴木」という名字に愛着なんて全然なかったんです。平凡だし、記号的だし、ペンネームはどのみち変わらないから本名が何になろうと支障ないだろうと、話し合いもせず相手の姓を選びました。珍しいからいいかな、くらいの感じで。

 でも、いざ変えてみるとまず変更手続きの山に辟易するし、そもそも鈴木という名前は圧倒的に便利だったんだと気づかされたんですよね。電話越しでも一発で伝わるし、漢字を聞かれることすらない。海外ではトヨタやホンダと並んで車ブランドとして知られているスズキはスペルミスもされない。それなのに新姓は英語で発音しづらいし、漢字表記では旧字体が含まれていて印鑑も特注。通帳を作るときのオンライン認証が通らず、産後のボロボロの体で窓口へ行く羽目にもなって……。

 ある日、児童館のゼロ歳児のママが集まるクラスに行ってみたら、そのなかに「鈴木さん」がいて、猛烈な嫉妬と喪失感に襲われたんです。「私だって鈴木だったのに、私が失ったものを彼女は持ってる。何なら結婚してそれを手に入れたんだ」って。失って初めて名字が自分の考え方や生き方と結びついていたんだとわかった。「今すぐ離婚して名字を戻したい!」って思いが爆発したことがありました。

鈴木涼美さんの最新エッセイ『めめSHEやつら 賢くて愚かな私たちを補完する、彼女たちの物語』(KADOKAWA)は、フィクションに登場する女性たちの姿に今を生きる「私たち」を重ね合わせる。人生をサバイブするためのヒントが満載。最終話は結婚について。

仕事上のアイデンティティを守るためのペーパー離婚

井田 お二人の話、どちらも身につまされます。私は今、選択的夫婦別姓の実現に向けて活動していますが、私自身の経歴もなかなかの「理不尽フルコース」なんです。初婚は19歳、大学1年で出産し、周囲からは「本家長男の嫁になるんだから変えるのは当然だ」と押し切られた。その後、離婚しましたが、すでにその名字で20年近くキャリアを積んでいたため、不本意ながら元夫の名字を使い続ける「婚氏続称」を選ばざるを得ませんでした。

 再婚後は事実婚を続けていましたが、夫の急病の際に病院から「本当のご家族(法的な親族)を呼んでください」と説明を拒否され、泣く泣く法律婚を選びました。その後、仕事上の名前を守るために一度籍を入れてからペーパー離婚をして名字を戻す……なんていう作業を繰り返してきた。名義変更は100項目を超え、「自分で穴を掘って、自分で自分を埋めている」ような虚無感に襲われていました。

 でもそうやって自分の名前に固執するのは、わがままでもなんでもなくて尊厳そのものですよね。テニスプレーヤーの伊達公子さんはドイツ人男性との結婚時、国際結婚なので変える必要はなかったのに、なんとなく変えるものだという思い込みからクルムに改姓された。でも、いざ国際試合に出ると、世界中のファンがDATEとして彼女を認識していた。それに気づいた彼女は、家庭裁判所に駆け込んで名前を取り戻したんです。

井田奈穂さんも当事者からの問題提起を執筆する『選択的夫婦別姓は、なぜ実現しないのか? 日本のジェンダー平等と政治』(花伝社)は、日々の生活のことから政治まで横断的に。「週刊文春」の「読書日記」での橋本愛さんによる書評も話題に

「離婚する女性はわがまま」「改正手続きは罰」という社会の空気

鳥飼  私がもうひとつ改姓で腹立たしかったのは、区役所の対応や社会の空気から感じた「あなたは2回も離婚しているからこんな目に遭うんだ」という罰を与えられているような感覚でした。「真っ当な結婚を一度だけして、夫の家に入る女」なら通らなくていい苦労を、お前はわがままだから味わっているんだ、と。初婚しか想定されていない制度ですよね。

鈴木 それ、日本の陰湿な処女信仰に近いですよね。女が自分の意思で別れて新しい人と一緒になろうとすることを、社会が歓迎していない。ルールが変だと言っているだけなのに、「わがままだ」「正規のルートを守れないのか」と叩かれる。

 選択的夫婦別姓なんて「選択的」で誰にも迷惑をかけないはずなのに、意思があるのが許せない人がいる。反対派が言う「家族の絆」なんて、名字がバラバラだと壊れる程度の自信しかない家族観こそ、よっぽど危ういのではないかと思います。

井田 私はロビー活動で国会議員の方々と話しますが、彼らの反対理由は驚くほど前時代的です。「家族は心も体も一つであるべきだ」とか「女性は三歩下がって歩くことで守られる」とか。明治時代の観念を令和になっても押し付けている。でも、実際には選択的夫婦別姓を支持する層は20~30代で9割に達しています。この乖離は、もはや理不尽という言葉では足りないほどです。

「名字を変える」のは入り口に過ぎなかった!?  いまも結婚に潜む「嫁役割」の呪縛と私の尊厳を守るための生存戦略〉へ続く