建物は基本的に左右対称で、[回]の字の造りになっています。中の小さな[口]が中庭で、当然、吹き抜けです。一階も二階も、その中庭を囲むように、欄干の付いた廻り廊下が配されています。どの遊女の部屋も、障子を開けて廊下に出ると、中庭が見渡せるわけです。片側三部屋として、上下階合わせて十二部屋はあったでしょうか。中庭には背の低い植木や万年青(おもと)の類(たぐい)が植えられていて、水の入っていない池があったようにも思うのですが、池については定かではありません。
手洗いは一階の左奥に少なくとも五つ以上並んでいたと思います。その前が布団を入れていた物置部屋で、やたらと大きい。寮の子供は悪さをするとそこに閉じ込められるのですが、いや、怖かったですね。手洗いの辺りは窓がないので、一日中暗い。暗い場所にある暗い物置部屋だから、中はほんとうに闇でした。
普請は、本物の遊郭ですから、しっかりしていた。なにかで、たしか保土ヶ谷宿の脇本陣だったお宅のご婦人が、保土ヶ谷遊郭の遊女の思い出を語った文章を読んだことがあるのですが、取材側に対して、あなた方の想っている姿とはかなりちがうという趣旨のことを語られていました。着けている着物も上質で美しく、様子も品よくて、娘心にも憧れたものだ、と。きっと、建物の質も遊女と同様に、公許の遊郭の“格”に釣り合ったものだったでしょう。
その元遊郭を、私たち子供はあくまで家族寮だと思って遊び回っていました。廻り廊下というのは廻っている限り、終わりがありません。無限回廊なのです。まずは一階をぐるぐると廻り、大きな階段を上がって、今度は二階を回る。飽きたら、また階段を下りて……の繰り返しです。でも、しつこくつづけると、うるさくてみんなに迷惑だからと親に怒られる。それでも聞かないと、あの物置部屋送りです。光が降り注ぐ廻り廊下から、闇の物置へと追いやられます。
いまから振り返ると、私たちはそこが元遊郭とは分からないまでも、どこかふつうとはちがうと、気づいていたのではないかと思わないでもありません。
ご紹介したような造りなので、遊郭は場所によって明るさを変えます。仮に、明・半明・半暗・暗の四段階に分けるとすると、まず玄関の広間と階段は半暗です。一階の廻り廊下は半明で、二階のそれは明、手洗いと物置は暗です。先ほどのぐるぐる廻りにこれを当てはめると、半明・半暗・明・半暗・半明が繰り返され、最後に暗になります。
その陰影の変化を繰り返し躰で受けるうちに、なにかを感じていたのではないか。半明の一階廻り廊下でも手洗いに近い場所は、暗が忍び寄っていました。だから、手洗いはいつも急いで用を足した。そこに足を踏み入れると、どこか別の世界へ攫(さら)われてしまう……そこが、遊郭という建物が負ったものなのかどうかは分からないけれど、明と暗の交わりのなかに結界が潜んでいるのを、私たちは知っていたような気がします。
写真◎山元茂樹
「横浜色街の記憶――結界だらけの街を歩く(後)」に続く
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