蜷川 我ながら嫌な性格だと思うんですが(笑)、その、許せない、という気持ちが、僕の中でずっと続いていて、若い頃のそういう屈折が芝居を作る原動力になっているんだと思うんです。それが僕の芝居の目線を低く下げてくれている。だからシェイクスピア劇だって、王侯貴族よりは、裸で肥桶かついでいる人たちを登場させたくなるし、学者やインテリは今でも嫌いだし信じない(笑)。
井上 なるほど。蜷川さんの中にそういう原料みたいなものがあって、絶えず燃え続けているわけですね。
蜷川 自分で勝手に作っている怒りの炎かもしれないんですけど(笑)、でも、僕をかきたてているのはそれだけだと思いますよ。
井上 つまり、どんな時代でも、人間ならこうあるべきだ、というところから始まっているんですね。いい時は忘れてしまうけれど、困難なときにこそ現れてくる人間の本性。「天保十二年のシェイクスピア」でも、蜷川さんの世界のつくりかたに、何かそういう実に強い仕組みを感じました。
蜷川 でも、頭から観念がある芝居は好きじゃないんですよ。結果として観念が人に届くのはいいけれど、それは具体を積み重ねなければ生まれない。
ですから、井上さんのホンなんてね、そりゃあ、うらやましいわけですよ。「天保十二年~」だって、すごいじゃないですか。よくあんなものをあのエネルギーで書きまくるよなあと、うらやましかった。
井上 私も、何かに怒っていたんですね。
蜷川 フフフ。
井上 差し障りがあるかもしれませんけど、古いのに新しがっている前衛とか(笑)。
蜷川 分かります。
井上 勇気がないくせに、若かった僕たちをあおり立てていた人たち。インテリとか、大新聞とか、そういう権威や存在に対して、いつも怒っていました。デモのときだって、僕らが行くのを扇動しても、自分たちは絶対についてこない。そのとき、自分が歳を取ったら、若い人に迎合するような老人には絶対になるまいと思いました。自分の生まれた時代と生まれた場所で一所懸命仕事をしていくしかない。若い人がダメっていうんじゃないんです。そこは認めてあげるかわりに、こちらのいいところも認めてください、ということです。
蜷川 僕はアイドルやたけし軍団を使って、商業主義と言われることもあるけれど、彼らは普通の大人よりも、落ちる怖さをはるかによく知ってますよ。以前、サイモン・マクバーニーというイギリスの演出家が村上春樹の短編を舞台化した「エレファント・バニッシュ」という芝居を観に行ったとき、V6のメンバーの1人が来ていたんです。「この後どこへ行くの」と聞いたら「これからコクーン歌舞伎です」と。昼夜劇場をハシゴしてるんです。若い奴らも必死で勉強して喰らいついてきている。
井上 蜷川さんのそうした若い人たちとの仕事の結実としての「天保十二年のシェイクスピア」で、僕はこれまで全く見たことのないものを見てしまったんですね。ひるがえって我が身を顧みて、僕も、今までに誰も聞いたことのない話を作りたい、と心から思いました。まだ知らない、面白いものを形にして出したい。
蜷川 役者たちはもう「次は何をやるんだ? 何をやるんだ?」ってうるさく言ってきていますよ(笑)。井上さん、またやりましょう。
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