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ルメートル、なんと憎らしい作家だろう

ルメートル、なんと憎らしい作家だろう

文:池上 冬樹 (文芸評論家)

『傷だらけのカミーユ』 (ピエール・ルメートル 著/橘明美 訳)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 物語はまず、アンヌという女性が二人組の強盗に殴られる場面から始まる。ショッピングアーケードのトイレで強盗と鉢合わせをして、アンヌはいきなり銃で殴られたのだ。そのあと顔と腹を執拗に足で蹴りこまれた。強盗たちは宝石店に押し入り、宝石を奪ったあと、立ち上がり逃げようとするアンヌに銃を放つものの、幸いあたりはしなかった。

 カミーユにとって、その日は同僚アルマンの葬儀の日で、葬儀に出かける二時間前に、警察から電話がかかってきた。アンヌ・フォレスティエという女性をご存じですかと訊かれた。携帯の連絡先のトップにあったのだという。女性係官によれば、武装強盗に巻き込まれ、病院に搬送されたという。係官はカミーユが警察官であることを知らなかった。

 カミーユは病院に駆けつけ、重体のアンヌに驚き、アンヌとの関係を誰にも明かすことなく、事件を担当することにする。だがしかし、強引なうえに秘密裏の捜査活動は上司たちから批判され、事件の担当を外されるどころか、刑事として失格の烙印さえ押されそうになる。カミーユはいったいどのようにして窮地を脱し、いかに犯罪者たちを追い詰めることができるのか。

 

 運命というやつは、なんのためらいもなく“ショットガンを引っ提げて現れる”と冒頭にあるように、いきなり、カミーユは恋人の災難を目のあたりにする。というと、おいおい、亡き妻イレーヌの話はどうなったのだと思うかもしれない。そんなにあっさり忘れられるものなのかと。もちろんカミーユだって簡単に新しい女性に心惹かれたわけではない。そもそも“一人の女性から別の女性へと気持ちを移すことがえげつなく思え、自分が低俗に堕したような気がした”ほどだ。イレーヌの思い出は“いくら時が経っても、どれほど出会いがあっても、決して消すことはできない”(一二〇ページ)。

 イレーヌを失ってから五年、もはや女性など必要ないと思っていた矢先に、奇跡のような出会いをする。その相手こそアンヌだった。アンヌを受け入れられたのは、彼女自身が“かりそめの”関係だと言ったからだ。アンヌもつらい体験をして、未来を描くことができなかった。二人は奇跡的に出会い、身をゆだねる。“それはどうしようもなく悲しく、だがとびきり幸せな夜だった。それが愛というものかもしれない”(一二四ページ)。

“それはどうしようもなく悲しく、だがとびきり幸せな夜だった”という表現が胸をつく。そこまで言われれば読者も納得するだろう。“イレーヌの死をかろうじて乗り越えたカミーユにとって、アンヌとの関係は生きる意味を与えてくれる唯一のもの”(四八ページ)であり、だからこそ、襲撃事件が人生を脅かすものとして感じられたのだ。

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傷だらけのカミーユ
ピエール・ルメートル・著/橘明美・訳

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その女アレックス
ピエール・ルメートル・著/橘明美・訳

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