- 2016.10.24
- 書評
ルメートル、なんと憎らしい作家だろう
文:池上 冬樹 (文芸評論家)
『傷だらけのカミーユ』 (ピエール・ルメートル 著/橘明美 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
その襲撃事件の始まりから終わりまでの三日間が描かれる。「一日目」「二日目」「三日目」という三部構成だ。同じく三部構成で、誘拐小説&ノワール&警察小説の要素をもちつつどんどん物語が変貌をとげていった『その女アレックス』、二部構成であるものの、一部から二部へと至る劇的な転換を示した『悲しみのイレーヌ』などと比べると、相変わらず切れのいいツイストはあるものの、あえてスタイリッシュな構成にしていない。襲撃されたアンヌへの思い、事件の追及、犯人に狙われるアンヌの警護、さらに刑事としても窮地にたたされたカミーユの絶望的状況を刻々とうちだして物語が沸騰していく。その過程の緊張感を味わってほしいからだろう。
もちろんルメートルのことだから、読者の読みをたえず越えていく。特に「三日目」からは驚きの展開になるのだが、それについては詳しくは書けない。ただひとつ書けるのは、早い段階で、犯罪に使われたショットガンが半年前の強奪事件にも使われていることがわかり、重要な容疑者が浮かび上がってくることだ。その容疑者はどこに隠れているのか。どうすればあぶりだすことができるのか。カミーユはそのために刑務所にいる、ある囚人に会いに行く。その相手とは誰か(それは読んでのお楽しみ)。
小説は、カミーユの三人称と「おれ」の一人称の視点で交互に語られていく。「おれ」とはいったい何者なのかは「三日目」でわかる仕掛けだ。物語は、この「三日目」から急変する。それまでの風景が一気に違う表情を見せて、事件の構図そのものが全く別の顔になる。いやはやよくできている。相変わらずルメートルのプロットは見事である。
それにしても、この小説を読んで思うのは、ルメートルが警察小説の歴史を踏まえて、きちんと現代の読者の好みにあう物語にしていることだ。かつて警察小説といえば、あくまでも集団捜査体制の中で、他者の事件を追及していったものだが、だんだんと事件と刑事の距離が近くなった。他者の事件を当事者として引き受ける、もしくは最初から私的な事件として刑事の前に提示される。つまり事件の私(わたくし)化である。警察小説の大いなる開拓者であるエド・マクベインの八七分署シリーズでも、刑事たちの家族や恋人の生死が大きくクローズアップされる事件を作り上げていたが(一九五〇年代に)、一九八〇年代前後から警察小説のみならずハードボイルドや私立探偵小説の分野でもそれが大きな流れになっている。安全地帯での事件捜査にあまり魅力を感じなくなったからだろう。主人公に激しく感情移入するようなエモーショナルな小説に対する欲求が強くなった。
その意味で、本書などは、愛すべきアンヌを守ろうとする、きわめて個人的な、だがそれを公言できない私的事件である。カミーユが「おれ自身の問題」(三一六ページ)というように、アンヌの事件はきわめて彼自身の問題であり、いかに警察内部での圧力をさけながら解決へと導くかが、魅力のひとつだ。
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