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迫力と臨場感をもって「死ぬべきいのち」の急所を描いた

迫力と臨場感をもって「死ぬべきいのち」の急所を描いた

文:郷原 宏 (文芸評論家)

『死命』 (薬丸岳 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『死命』(薬丸岳)

 本書『死命』も無論、例外ではありません。この作品は二〇一二年四月に四六判ハードカバーの単行本として文藝春秋から刊行されると、その特異なテーマと主人公の性格設定がミステリーファンを驚かせました。内容的にはとても重い作品なのですが、いったん読み出したらメシもトイレも抜きになるという、この作家の特長がよく活かされたページターナー小説の傑作です。

「死命」という言葉には二つの意味があります。一つは「死ぬべきいのち」、もう一つは「生きるか死ぬかの急所」です。「死命を制する」という慣用句は後者の例で、他人の生死の急所をおさえ、その運命を自由にあやつるという意味です。本書はその二つの「死命」を重ね合わせに描くことによって、いのちとは何か、生きるとはどういうことかを読者に問いかける、ある意味ではとても厳粛で哲学的なミステリーです。

 榊信一、三十三歳。デイトレーダー。株の売買で巨万の富を築き、東京湾岸の豪華マンションに独りで住んでいます。澄乃という幼なじみの恋人がいますが、性欲が高じると、むしょうに女を殺したくなるという危険な衝動を内に秘めています。末期がんで余命数ヶ月と診断された日から、自分の欲望に忠実に生きようと決意し、次々に殺人を繰り返していきます。

 長崎県佐世保市の女子高校生が「人を殺してみたい」という理由で仲のいい同級生を殺害し、遺体を切断するという事件が起きたとき、私たちはその異常な動機に仰天し、加害少女の心理を訝(いぶか)しみました。メディアは例によって少女の家庭環境を中心とするさまざまな推理や解釈を並べ立てましたが、いずれも推測の域を出なかったようです。考えてみれば当然の話です。もしそれが容易に他人にわかるようなものであれば、そもそもこの事件は起きなかったはずなのですから。

 この作品の主人公の殺人衝動も、常人には決してわかりやすいものではありません。「そんなやつ、ほんとにいるのかよ」というのが、まずは大方の読者の反応でしょう。ところが、薬丸氏は、その普通にはいそうにない人物を、私たちの隣にいる普通の市民のようにさりげなく、しかも、したたかな実在感を持った人物として描き出すことに成功しています。これほど異常な人物を、これほどリアルに描ける作家は、薬丸氏のほかにはいないといっていいでしょう。

文春文庫
死命
薬丸岳

定価:858円(税込)発売日:2014年11月07日

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