蒼井凌、五十三歳。警視庁捜査一課の部長刑事。二年前に糟糠の妻を亡くし、いまはダンサー志望の娘、高校生の息子と三人で暮らしています。組織捜査になじまない一匹狼タイプの頑固者ですが、長い経験に培われた独特の勘の持ち主で、事件となれば寝食を忘れて打ち込みます。胃がんの再発で余命数ヶ月と知った日から、連続女性殺害事件の捜査に最後の執念を燃やします。
近年は一九七〇~八〇年代につづく第二の警察小説ブームで、日本のミステリーシーンではいま、はみだし刑事、女性刑事、悪徳刑事など、さまざまな主人公が能力と個性を競い合っています。蒼井は特に珍しいキャリアの持ち主というわけではありませんが、病魔に「死命」を制せられながらも刑事としての「使命」に燃えて捜査に「死命」を賭すというその性格設定は、一作限りで消えてしまうには惜しいキャラクターだといわなければなりません。
事件は、この二人の男にヒロインの澄乃を加えた三つの視点から交互に描かれます。そして物語の進展につれて、榊の殺人衝動のもとになった少年時代の事件が徐々に浮かび上がってきます。つまり、この物語は三視点描写で二重時制という多層的な構造になっています。
ですから、本書の読者は、異常心理による快楽殺人を扱った戦慄の犯罪小説、ベテラン刑事の執念の捜査を描いた迫真の警察小説、禁断の恋のゆくえを追う清冽な恋愛小説、連続殺人の動機をめぐる本格的な推理小説という四つの物語を同時進行で味わうことができます。いいかえれば、これは一粒で四度おいしいミステリーであると同時に、一度に四種の味をかみしめることのできる贅沢なミステリーなのです。
しかし、この作品の最大の読みどころは、余命いくばくもない二人の男が、残された「死命」を賭けて文字通りの死闘を展開する、その息づまるサスペンスにあるといっていいでしょう。世にミステリー多しといえども、これほどの迫力と臨場感をもって「死ぬべきいのち」の急所を描いた作品は、ほかにはありません。これは薬丸岳氏の代表作であるだけでなく、二〇一〇年代の日本ミステリーを代表する作品だといっていいと思います。
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