刀を持たぬ四人の女
物語のクライマックスである芹沢鴨暗殺直前で、沖田総司は「この戦場には、刀を持たぬ四人の女がいるのだ。傍観者でもなく、犠牲者でもない、明らかな戦の当事者として」と述懐するが、まず、その一人目は、表題となっている糸里。
彼女は算(かぞ)えで六つの時に小浜から京都の花街・島原に売られて来て、その後、美しく成長、輪違屋の金看板・音羽太夫を実の姉とも慕うが、その音羽を芹沢鴨に無礼討ちにされてしまう。その時音羽が糸里に最期に残した言葉が「恨むのやない。だあれも恨むのやない。ご恩だけ、胸に刻め。ええな、わてと約束しいや」という一言。
物語は、糸里がこの音羽が遺した言葉の意味をさぐり当てていく話としても読めるが、その後、土方歳三と糸里が恋仲であることを知った芹沢は、糸里と己が腹心・平間重助の仲を取り持つよう、土方に命じ、近藤派と芹沢派対立の渦中にあって腹に一物のある土方は、これを受け、糸里すらも自分の手駒の一つとして使うことを決意する。
そして二人目が、糸里を姉とも慕う桔梗屋の吉栄(きちえい)。本当は舞や謡に秀でているものの、自分の芸と器量にはとうに見切りをつけ、自分よりも他人のことを考えるやさしさがかえって己れ自身の苦労の種となり、侮られた言葉を鵜呑(うの)みにして、自分を見下してしまう損な性分の女である。
この糸里も吉栄も、子母澤寛『新選組遺聞』の「壬生屋敷(八木為三郎老人壬生ばなし)」の中で、惨劇のあった夜、八木邸にいたことが確認されている人物、すなわち、「寝部屋にいた女は、どうせ島原の者が、隊士の誰かに逢いに来て、黙って、私の家へ上り込んで待っていたのでしょう」「察するに先程の女(永倉記録。輪違屋糸里)は平間のところへ来ていたものでしょう」、もしくは「平山は首から胴が離れていました」「一緒にねていた島原の吉栄はどうしたのか、私が見に行った時はもうその辺にはいませんでした」と記されている。
浅田作品では、糸里は、芹沢、平山、平間の酒に眠り薬を仕込むという役回りを演じさせられ、吉栄は平山の子を腹に宿している、という設定である。
そして三人目は、芹沢と共に惨殺される菱屋のお梅。十二歳の時に親に品川の女郎屋に売り飛ばされ、女衒(ぜげん)の目を盗んで逃走、やがて絵に描いたような江戸前の莫連女となり、菱屋の主太兵衛に惚れられ、女房を追い出し、傾きかけていた店の身上(しんしょう)を七年かかって立て直した女である。それが芹沢と泥沼の愛を共有するようになり、たまさか惨劇の夜、芹沢と同衾(どうきん)するに到る凄惨なドラマは、本書の中でも圧巻中の圧巻といえよう。
そして四人目が、八木家と同様、新選組の隊士たちの世話をすることになった前川家のお勝。前川の家はかねてから会津藩の金銀御用を務めて来た家で、惨劇の夜、お勝は、喚声と悲鳴が聞こえる中、「ここから出てはなりませぬ」と自分と永倉新八を牽制する斎藤を通してすべてを悟り、「今このとき、隊士たちの中に人の世の道理をわきまえている人間がいるならば、それは永倉ひとりであろうと、お勝は思った。そのただひとりの正義が、なすすべもなく声を嗄(か)らして泣くさまは、黙って見すごすに忍びなかった」と慨歎せざるを得ないのである。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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