百姓対侍
『輪違屋糸里』は、この四人の女を通してとらえられた芹沢鴨暗殺劇だが、作者はもう一つ、近藤一派と芹沢一派の対立に新しい図式を用意している。それは百姓対侍というそれである。
かつて歴史家の服部之総(しそう)は、近藤勇の試衛館道場を支えている土壌とは「江戸にありながら、実質上は武州の多摩郡一帯の、身分からいって『農』を代表する、農村支配層の上に築かれた」ものであり、その地盤は「手作もするが『家の子』も小作も持ち、一郷十郷に由緒を知られ、関八州が封建の世となってこの方数知れぬ武家支配者を送迎しながら、『封建制度』の根元的地位に座して微動もせずに存続して来た特定社会層」であると規定、そこから生まれた新選組を「それはさしずめ『長州』の、やがては『薩長』のくらやみの使徒に対して現制度を死守する、特別警備隊の仕事であった。ブルジョア的要素に一筋の連結も持たぬ、多摩農村の封建的根底部分を百パーセント武装化した、試衛館独裁の新撰組ほど、この任務のために不敵、真剣、精励たりうるものが他に考えられようか」と位置づけている。
そして浅田作品では、しばしば、この<農>の出身が繰り返されることになる。
いわく、「近藤勇の面目とは、さよう百姓の面目にござります」。いわく、「新選組は侍か。ちがう、ちがう。御守護職様のお抱えじゃなくって、お預かりなんだから家来じゃねえ。ま、俺たちがいくら働いたところで、会津様がお抱え下さるはずはないやね。百姓を家来にするわけはなかろう」。いわく、「これは下剋上でも、悪を斃(たお)す義挙でもない。足軽と百姓が、真の武士を殺すのだと。そのほかの理屈は何もないのだ」と。
そして、芹沢鴨暗殺は、近藤一派が百姓で終わるか、侍となるかの試金石として位置づけられるのである。
では一方の芹沢はどうか。「酒の入っていないときの芹沢は実に明晰で、あの見映えのよさがけっして張子の虎ではない」、「尽忠報国の士、さすがは水戸天狗と思わせる尊皇攘夷の権化」で「生まれながらに武士の根」を持っており、時代の中で悪役を演じさせられた芹沢は、見事にその役割を演じ切ったまま殺されていくのである――。
“新選組は進化し続けている”とまでいわれ、ここ十数年、菊地明ら、気鋭の研究者によって、新たな資料の見直しや発掘が行われている現在は、恐らく、新選組の三度目の見直しの時期に当たっているのではないだろうか。そしてその時期は、不思議なことにバブル崩壊期の人が人としての想像力を摩滅させていった時代と重なり合っている。
想像力とは、詰まるところ、人を思いやることであり、人の心を忖度(そんたく)することに他ならない。浅田次郎はその中で最新の研究成果と作家的想像力のすべてを駆使して平成の新選組物語を創り上げた。『壬生義士伝』しかり。そしてまた『輪違屋糸里』ほど、類型的な悪として葬られて来た芹沢鴨を一個の人間として復活させた作品はなかった、といっていいのではあるまいか。そして、前作から引き継がれる生命の尊さというテーマは、それこそ、これまでの新選組物語の中で、芹沢鴨以下の存在、すなわち、端役でしかなかった女たちの側から、侍にも優る気概をもって高らかに謳い上げられることになる。
新たな浅田版新選組物語の誕生を心から喜びたいと思う。
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