――他の山本さんの作品同様、『赤絵の桜』も深川が舞台ですが、やっぱり深川には思い入れがあるのですか。
山本 そりゃもう、たっぷりあります。住まいが富岡八幡宮のすぐそばですし、暮らしてみると地べたが江戸のころにつながっているなと実感します。物語の舞台に住んでいて書けるっていうのは、ものすごく幸せだと思います。函館の宇江佐真理さんとは仲良しですが、宇江佐さんは函館で深川を書かなければいけない。私は深川に住んで深川が書ける。「悔しいだろう?」って、彼女に言うんだ(笑)。私の場合、たまたま引っ越してみたら、そこが時代小説の宝物の場所だったわけです。
――今も当時の暮らしぶりや人間関係が生きているんですね。
山本 はい。今、日本じゅうで町が壊れていってるでしょう。他の町からきた人たちが好き勝手言って、古い町を壊していっちゃう。もともと学校があるところへ越してきたやつらが、その学校に向かって、チャイムがうるさい、静かにしろ、ってやり始めちゃって、学校も腰が引けて静かにしちゃうっていう、そういうバカなことが日本じゅうで起きているんです。
――でも、深川は違うと。
山本 そう、深川は町が古いんだよ。言ってみれば、四代目、五代目っていう人たちがごろごろいる。その人たちが昔っからの富岡八幡様のお祭でグッと一つになるわけ。普段は商売敵でも、御輿に肩を入れたら一緒だよっていうところが、理屈じゃなしにあるんです。そういう人たちが暮らしている町だから、よその町から入ってきた人たちが少々何か文句を言っても、関係ないわけ。
――よそ者の意見には動じない。
山本 でも、祭りが近くなると「よかったら、一緒に御輿を担ぎませんか」って誘うんだよ、新しい連中を。「嫌だ」と断わられたら、それ以上は言わないの。担ぐと言ったら、じゃ、一緒にやりましょうって。ただし、俺たちの流儀でやってくださいって。仲間に入るには流儀を守らなければいけないよと。ここで一本ビシッと線が入るわけ。御輿のことだけではなく、町で暮らしていくためにはいろんなルールがあるわけで、それはお互いに守ろうねって。
――きっと昔は、どこの町でもそうだったんでしょうね。
山本 江戸のころはお互いさまでみんなが生きていたでしょう。よそ者が入ってきたら、「新参者ですが、すみません」と頭を下げながら、じわじわと町の中に溶け込んでいった。今はそうじゃないでしょう。新しい住民が新しい価値観を作ると言って、刀を振り回している。うっかりしたら、それが通っちゃうってこともあるわけだけど、そうなると秩序だとか文化はなかなか残っていかないよね。
――山本さんも御輿を担がれるのですか。
山本 もちろん。三年に一回の本祭になると、町内で半纏を売るから、富岡二丁目の半纏を着て、帯を締めて、身形(みなり)をこしらえて初めて御輿が担げるんです。私も今年で参加して十二年目になるけれども、ようやっと下っ端として扱ってもらえるようになったような(笑)。「あれ持ってこい」だとか、弁当を運ぶ役を、「あんた、やってよ」とか用を言いつけられて。
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