――地域のつながりが強いというのはすばらしいですね。新作の中でも、ほぐし窯で伊万里焼の贋作を作っていた鋏屋と青山の悪事に対して、大騒動にしないで、組織の中で片づけてしまおうとするんですよね。
山本 江戸時代の司法行政のあり方というのは、ある部分、おおっぴらにしないですませようっていうところがあります。公にしてしまったら、死人を出さないことには片づかない問題になる。シリーズ第一巻の『吹かずとも』の贋金造りにしても、事実を「恐れながら」と正直に告白して罪が露見してしまったら、首が飛ぶだけじゃすまなくなるよね。一家皆殺しになるわけだから。それじゃあ、あんまりだろうということで、大ごとにはしないでおさめようっていう考え方は、ものすごく大事なことだと思う。本来、日本人って、そういう思いやりのある民族だったよね。
――江戸の暮らしこそ、日本人に合っているのでしょうね。
山本 きっと心地好かったと思います。封建制度のガチガチっていうイメージも一方にあるけども、文献を読んでいくと、絶対そんなわけがない。人は心の自由を持っていただろうね。
――借金が棒引きになる棄捐令(きえんれい)が出された江戸時代と、今のこの不景気の時代は似ている気もしますが、そのあたりは意識されましたか?
山本 第一話の『万両駕籠』を書いたときは、ものすごく意識しましたね。ただ、銀行や企業の不良債権が引き金になっている平成不況と違って、棄捐令が発布された世では、お金を握っている札差だけが悪いわけじゃない。武家という制度そのものの歪みが、どうにもならないところまで来ていたんだろうなというのは、書いてて感じました。
――今の私たちがヒントにできるようなこともあるのでしょうか。
山本 あると言えば、お金を使うことだと思うよ。棄捐令が発布されるまでは、料亭だの船宿だので、札差がいっぱいお金を落としていたんです。それが棄捐令で財布のひもを締めちゃったから、お金が流通しなくなった。経済を良い状態に戻すには、国の舵取りよりも、庶民のお金の使い方だろうと思うね。使える人間がある程度のお金は惜しまずに使っていかないと、経済は絶対に発展しないと思うね。
――札差のお金の使い方は粋ですよね。
山本 粋ですよね。間違いなく、元禄のころから札差が社会の中枢を担っていた。二大勢力は彼らと材木屋です。この人たちがお金を使うことで文化が育まれてきた。日本料理がどんどん洗練されていったのは、高いお金を出して食う人間がいたからでしょう。装飾品にしても、衣料品にしても、料理にしても、建築にしても、価値を見出してくれる人がいるから、どんどん発展していくわけでしょう。元禄のころから貨幣経済が非常に膨張していきますが、その推進役だったのは間違いなくこの人たち。やっぱり金持ちは、生きた金を使わなきゃ。お金を使うことで文化を育んでいく歴史が、世界的に見てもあるわけですし。
――そのあたりも、江戸時代の経済小説として読めるわけですね。
山本 そうですね。
――今後もずっとシリーズは続くんですよね。
山本 もう読者が読んでくれる限り書きたいですね。
――おまきが今後どうなるのかも、すごく気になるんです。
山本 ちゃんと火種を残してありますよ。おまきと父親との間がどうなっていくかも、ね。楽しみにしていてください。
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