司馬遼太郎越えに挑んだ野心作が続々と登場している
平成二十七年の歴史・時代小説界は、火坂雅志氏の急逝という哀しい知らせではじまった。まだ、五十八歳という若さである。
作品リストには挙げていないが、『天下 家康伝(上下)』(日本経済新聞出版社)と『左近(上下)』(PHP研究所)という大部の二作が最後の作品となった。
前者で、火坂氏は、日本という国の美しさを「――水」に求め、その水をこよなく愛した男として家康を紹介している。そこから感じられるのは清々しいほどの清涼感だ。家康は、信長のような突破力も、秀吉ほどの人たらしの術も持たない。ただ彼は天下取りについて“おおやけ”というものを考えるようになったといい、「わしが天下を欲するのではない。天下がわしを欲したとき、ようやく何ごとかがはじまる。卑しい心根をもって世の混乱を望むような男に誰がついてくると思う。おおやけの志を持たねば、人の心は動かせぬ」と本多正信に説く。
一言でいってしまえば、本作の家康は戦国を流れる一筋の清流である。火坂氏がこのような清涼な思いで逝かれたかと思うと、ある種の感動を禁じ得ない。
一方、『左近』は、惜しくもあと少しのところで未完となってしまった作品。快男児、島左近の活躍が縦横無尽に描かれ、手に汗握る面白さである。
さて、本年度の活躍をベテラン勢から見ていくと、宇江佐真理『為吉 北町奉行所ものがたり』は、と続けるつもりだったが、ゲラを見ている最中、宇江佐氏の訃報が届いた。宇江佐氏が乳癌であることは、「文藝春秋」二月号の闘病記で知っていた。が、その闘病記が、癌をわずらったことから生じる諦観や闘志を、いかにも宇江佐氏らしいユーモアと驚くほどの客観性で綴られていたので、まさか、これほどはやく亡くなる気がしなかったのも事実だった。
今年の斯界は、火坂氏の急逝ではじまり、宇江佐氏のそれで終わるとは――。
気を取り直して作品の方へ戻ると、呉服商の跡取り息子だった為吉が、店を盗賊に襲われ、彼以外は皆殺しに――。その後、店は人手に渡り、紆余曲折を経て、いまは北町奉行所の中間となっている。こうした過去のために「よく見れば優男だが、陰気な感じが勝って、人にそう思われない。損な男」として生きている為吉が六つの事件を通して再生していくさまが、奉行所や罪科に関する正確な考証とともに描かれていく。
各篇の中では第三話「見習い同心 一之瀬春蔵」の、不正があれば与力や奉行まで致仕に追い込む鬼同心・神谷舎人が、実は情に厚いところや、与力の奥方事情が分かり、これを冤罪事件と絡めた「与力の妻 村井あさ」等が面白い。
また、未読の方のために詳しく書けないが、最終話で奉行所に関わる人たちは犬じゃない、狼だ、と為吉がいうあたりもじっくり味わってもらいたい。
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