美しく見えなくてもいい
時代劇に出る度に可憐な美しさで時代劇ファンを魅了してきた若村だが、本人の意識としてはそうした美しさを必ずしも求めてはいないのだという。
「たとえば『斬九郎』の蔦吉のように芸者でしたら『見た目もきれいでいる』ことが芸者としての役目でもあるわけです。あるいは、お染でしたら芸人としてのビジュアル的な美しさもその役の一つの大きな力だったりします。ですが、今回はそういう役ではありません。
特に気を付けたのは、才気走った女にならないように、ということです。お染にしても蔦吉にしても、キリッと才気煥発、そういう切れのある女でしたが、お吉は泥沼の中から這い上がってきた人ですからね。別に力強い女の人ではなく、か弱くて瀕死の状態でやっとこさ生きてきた女。哀れさと苦労が感じられるような、そういうお吉らしさが出るようにという工夫はしています。ただ、見た方が『あれ、若村さんあんまりきれいじゃないね。やっぱりなんか年取ったね』ぐらいに感じてもらえればいいのかもしれないですね。
それは今回のお吉に限らず、これから自分が役者としてやっていく上で心がけていることでもあります。私、早く老け役ができるようになりたいと思っていて。その時には、やっぱり中身がないと通用しなくなっちゃうので、そこがまさにこれからの課題でもあるんですよね。
当初の自分のイメージからすると、この歳になったらかなり老け役をやっているはずだったんですけど、自分が思っているよりはちょっと若い役をいただくので、困ったなっていうのはあります。もっと中身を充実させないとそういう役は来ないのかもしれません。
もともとちょっと変わり者なんですよね。そんなにきれいな役がやりたかったわけでもないんです。そんなに自分がきれいだとも思ってないので、きれいな役とかいうと、演じるハードルが高くなるんですよね。
若手の頃、無名塾の『シラノ・ド・ベルジュラック』の公演で最初に仲代さんの相手役で抜擢していただいた時、『絶世の美女』って書いてあって『私の役じゃないと思います。もうちょっと違う役はないんでしょうか』って演出家である仲代さんの奥さまの宮崎恭子さんに言いました。二十三歳の時です。今から思うとなんてことを言ったんだろうと反省しています。主人公のシラノは鼻の大きさにコンプレックスの物凄くある男で、『どっちかといったらシラノみたいな役がやりたいんです』って。宮崎さん、口をあんぐりされていました」
近年、時代劇で魅力的に輝く役者が減ってきた中で、若村はいつも見る側を魅了し続ける。そんな若村に、最後に「時代劇で演じる魅力」について聞いてみた。
「演じるのは、時代劇のほうが難しいです。普段は私も洋服を着て普通に椅子の生活をしていますから、現代劇のほうがリアルな暮らしぶりの中から自然に出てくるものがあります。今の時代を生きている中での感覚を切り取って膨らませて演じることができる。時代劇は一から学ばなければいけないことだらけなので、そういう意味では時代劇のほうが難しいです。
ですが、その分たくさんのことを――夢とかエンターテインメント性も含めて――たくさん盛り込むこともできるし、物語として飛ぶこともできるんですよね。ですから、表現する上では時代劇のほうが豊かだなというふうに感じています」