じつは「ストリーム」以前から町山さんの名前は存じ上げていた。『映画宝島 異人たちのハリウッド』('91)の編集者としてだ。表紙では「出自と差別という問題から目をそむけたアメリカ映画論なんてみんなインチキだ!」と攻撃的なパンチを繰り出す。編集後記には「まず被差別民を描いた娯楽映画が作られなければならないのです。…差別を告発するだけの社会派映画じゃ、…インテリしか見てくれない。」とあり、「映画宝島」にはアメリカがちゃんと分かっている人がいるんだなあ、と痛く感銘を受けたことがある。80年代初頭エスニシティと米国政治をテーマに大学院を出たものの惰眠を貪っていた私にとって、同志を得た心境だった。巻頭では若き日のデーブ・スペクターが懐かしきシカゴのwhite ethnicsについて語っていた。後に「CNNデイブレイク」のゲストで町山さんに来てもらおうとしたが結局お流れになってしまった。
町山さんのアメリカ論にはdystopiaに加えてこの「民族」と「宗教」が根底にある。特に2000年代に入ってブッシュ(息子)政権の福音派原理主義との関係が濃密になるにつれて政治に宗教絡みのトンデモニュースが溢れる。宗教右派の論理は日本人にとって奇妙奇天烈で難解だ。ラブ&ピースが好きなリベラルの理屈は分かりやすい。何しろ戦後日本の世界観と通底しているからね。リベラルの牙城ニューヨークやカリフォルニアを訪れる日本人は多いし、リベラルな新聞や学説は広く紹介される。だがブッシュ・カントリーともいえる中西部から南部で何が起きているかを的確に伝えることは努力がいる。町山コラムの多くも、この頃から宗教右派を標的としている。恐らくブッシュ時代のこの動きを町山さん以上に詳細かつ鋭敏に捉えたコラムニストはいないだろう。私自身も1996年の大統領選挙から最近まで宗教右派の取材を重ねて紹介してきた(「サンデープロジェクト」特集)。それだけにアメリカは、保守主義と宗教原理主義がうまく伝えられないと実像が結べないことを実感しているつもりだ。
アメリカの実像とは様々なパズルの集合体だが、それらの焦点についての明確なイメージがないと質の高いアメリカ論にならない。ある高名な政治学者は、それを自由主義的伝統とした。18世紀ジョン・ロック時代の古典的リベラリズムの「断片」が建国期のアメリカに移植され花開いた。封建制という培養土のないところでリベラリズム以外の花、例えば社会主義や社民主義は今でも育たないと指摘する。また社会学者の中には、善悪二元論で世界を捉えるカルヴィニズムのエートスがアメリカを呪縛している、とする人もいる。そして大家ド・トクヴィルにおいては平等主義の行き着く末の民主主義的憂鬱という有名なアメリカ観がある。そこで町山コラムは、というと、次元が違うよ一緒にするな、オイラはスポーツバーで管を巻くオヤジのアメリカ像だと一蹴されそうだ。
でも、やはり町山さんの描くアメリカ像(自分のことしか考えないカニどうしが互いに足を引っ張り合いどれもバケツから這い上がれないアメリカ「カニバケツ」説)が説得力を増しているように思える。そしてそれはブッシュからオバマに代わった今でも、変わらない。
追記
「英語本市場」には、ことばからみたアメリカ論という分野がある。多くは語学力がある文学者や翻訳家、通訳者たちによるものだ。中でも私の印象に強く残っているのが、國弘正雄著『現代アメリカ英語』(サイマル出版会)という本。國弘先生の大学での授業に潜り込んでいたこともあった。映画評論家町山智浩さんの本書はこのジャンルでも数多ある中、異彩を放つ秀作だと思う。映画を映像言語という文法で分析できるのは評論家としての必要条件だが、外国映画を原語のもつ襞まで腑分けできる能力はこの国の評論では稀有のものではないか。是非大学の「グローバル・スタディーズ」(何を指すかは不明)でも教科書にしてはいかが。
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