書評

〈『テロルの決算』三十年後の終止符〉
完璧な瞬間

文: 沢木 耕太郎 (作家)

『テロルの決算』 (沢木耕太郎 著)

日本のノンフィクションの金字塔とも言える沢木耕太郎の『テロルの決算』。 一九七八年に発表されたその作品は三十年たった今も、圧倒的な完成度と凄味をもって読者に迫ってくる。 同じ一九六〇年を起点とする『危機の宰相』の文庫化と同時に、今回文庫新装版として生まれ変わる。 その新装版刊行にあたって著者自身が書き下ろした三十年後の終止符――。

 やがて、私は、見舞いに行く日を大晦日(おおみそか)と決めるようになった。寝たきりであるにもかかわらず中村忠相の交友関係は広く、いつ見舞いに行ってもいろいろな人が病室にいる。しかし、その千客万来の病室もさすがに大晦日には見舞い客がいないだろうと思い、その日の夕方に行くことにしたのだ。

 それが大晦日に行くことにして何度目のときのことだったかはわからない。ただ、その日も、高い階にある病室の窓から見える西の空に、大きく真っ赤な太陽が沈もうとしていたことはよく覚えている。

 いつものように、あれこれとおしゃべりをしたあとで、少し話が途切れる時間が生まれた。夕陽を眺めながら、しばらくそれぞれの思いの中に入っていたあとで、私がふと訊ねるでもなく口に出した言葉があった。

「生きていたら……どうだったでしょう……」

 すると、それが誰のことかと聞き返そうともせず、中村忠相が言った。

「そう……楽しいこともあったかもしれないな」

 これまで、山口晋平をはじめとして山口家の人々のことについてはさまざまに話をしたが、なぜか山口二矢のことだけは互いに口にしなかった。

 ところが、このとき、私は自分でも意識しないまま山口二矢についてのことを口にし、中村忠相もまたそれを自然に受け止め、応えてくれたのだ。

「そう……楽しいこともあったかもしれないな」

 私は中村忠相のその言葉を前にしてふと立ち止まった。

 もし、山口二矢が生きていたら、やはり「楽しいこともあった」のだろうか……。

 だが、いくら想像しようとしても、山口二矢が、三十代、四十代と齢(とし)を取っていく姿を想像することはできなかった。

 確かに、夭折した者には、それ以上の生を想像させないというところがある。自死であれ、事故死であれ、病死であれ、若くして死んだ者には、それが彼らの寿命だったのではないかと思わせるようなところがあるのだ。しかし、他の夭折者の多くは、山口二矢ほど鋭く「もし生きていたら」という仮定を撥(は)ねつけはしない。生きていればもうひとつの人生が存在したのではないかと想像させる余地をいくらかは残しているものなのだ。

 どうして、山口二矢だけが「もし生きていたら」という仮定を弾き返してしまうのだろう……。

 と、そこまで考えたとき、いや、と思った。山口二矢と同じようにそうした仮定を受けつけない夭折者がもうひとりいた、と。

 実は、私には、山口二矢の写真を見るたびに思い出す顔があるのだ。それは、二十三歳の若さで死んだボクサーの大場政夫の顔である。

 大場政夫は、一九七三年一月、チャチャイ・チオノイとの世界タイトルマッチで奇跡的な逆転勝利を収めた三週間後、首都高速でシボレー・コルベットを運転中に大型トラックと激突、死亡した。

 私たちが知っている山口二矢の顔は、毎日新聞のカメラマンである長尾靖が撮り、ピュリツァー賞を取ることになる、日比谷公会堂における有名な現場写真の中のものである。山口二矢は胸の前で刀を構え、メガネがずり落ちた浅沼稲次郎に向かってさらに一撃を加えようとしている。

 その写真の中の山口二矢の印象は、切れ長な目をした細面(ほそおもて)の顔立ちの若者というものである。そして、大場政夫もまた、山口二矢と同じように、切れ長の一重の瞼に細面の顔立ちをしているのだ。

 日本には「白面」という言葉があり、そこには、色の白さと同時に年齢の若さという意味が含まれているが、山口二矢も、大場政夫も、その「白面」というにふさわしい顔立ちによって私の内部で重なり合う。

 しかし、そのときまで、どうして山口二矢の写真を見るたびに大場政夫の顔を思い浮かべてしまうのかよくわからなかった。ただ単に顔立ちが似ているというだけが理由とは思えなかったからだ。

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テロルの決算
沢木耕太郎・著

定価:本体670円+税 発売日:2008年11月07日

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