『果報者の槍』の毛利新助(もうりしんすけ)と『毒を食らわば』の塙直政(ばんなおまさ)は十代のころからの幼馴染みですが、まったく違う生き方を選びました。心の奥ではお互いに通じ合うものがあっても、その生き方を真似ることはできません。新助は才気あふれる信長の家臣団の中では無骨で融通のきかない、武辺だけで主君に仕える男です。しかし、誇り高く、自分の器を知る度量がありました。たまたま桶狭間で今川義元の首をあげますが、いち早く野心から離れ、家臣たちの出世競争からも身を引きます。自分のやり方で信長に誠実に仕える揺るぎない強さを感じるし、信長がそれを見抜いて「己を知る者ほど強いものはない」と嫡男の信忠を任せたのも凄い。本能寺の変に遭遇したときそのまま逃げることもできたのに、信忠を守ろうと敵の矢面に立って壮絶な死を迎えます。
一方の直政は弁舌が巧みで交渉事にたけ、徳川家康や浅井長政(あざいながまさ)との同盟締結に手腕を発揮しました。武田軍との長篠の合戦では資金の調達力にものをいわせて鉄砲隊を組織し、わずか十五年で馬廻衆(うままわりしゅう)から織田家中の最高位につく。しかし、その過程で嘘を重ね、無理に無理を重ねて気がつけば八方ふさがり。年貢の前借や堺の商人から借金を続けてきたため、本願寺攻めで必要な武器をそろえることができません。鉄砲が欲しい、でも、その金がないという直政の焦燥感は読んでいて息苦しくなるほどです。
僕は楽天的で主人のためにそこまで必死になれる人間ではありませんが、もし、あの時代に生まれていたら……。「身分なんて関係ない、結果がすべて」と徹底した能力主義を貫く主君が目の前にいて、その言葉のとおりに昇進を遂げる人がいれば、直政のように出世欲にとりつかれるのは無理もないかもしれません。そこには嫉妬ややっかみが生まれたはずで、それさえも信長はエネルギーとして利用しました。知れば知るほど怖ろしく、だからこそ魅力があるのです。
ついに鉄砲は集められず、本願寺攻めで戦死すると、信長は直政とその一族の足跡をすべて消し去り、存在そのものを抹殺してしまう。現代に置き換えると、会社のために不正まで働いて必死に尽くしたのに、最後はその人ひとりに収賄の罪をかぶせ、何ごともなかったように幕引きをはかる……という感じでしょうか。
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