作中の『着道楽の奥方』『白無地の小袖』では、はなやかな小袖や打掛、さらに『見性院雛形帖』で土佐の大名山内一豊の賢妻として知られる千代に由来する千代紙など、あでやかな小道具が読者の美しい物への欲求を満たしている。
それなのに、農民のために一身を犠牲にする茂左衛門の話は凄惨な物語として感興をそぐかに思えそうだが、実は違う。
茂左衛門たち農民を苦しめる真田信利は大坂冬の陣、夏の陣のヒーロー、真田幸村(信繁)の兄で真田家を守り抜いた真田信之の孫にあたるのだ。
信利自身は領民を苦しめた愚かな藩主であったにしても、〈真田〉という姓は伝奇的なはなやぎをまとっている。
さらに時代小説の愛読者ならば『鬼平犯科帳』『剣客商売』など江戸情緒あふれる傑作を書いた池波正太郎の直木賞受賞作が、真田信利も関わりがある真田家の家督相続に絡む『錯乱』であったことをご存じだろう。
池波正太郎のライフワークと言うべき『真田太平記』も思い浮かぶはずだ。
言うなれば本作には〈真田〉というキーワードによって池波作品の世界に通じる水脈がひそかに仕込まれている。
茂左衛門は、将軍綱吉への直訴を行うにあたって工夫を凝らす。
東叡山寛永寺の僧に扮して輪王寺宮の偽文箱を用意した。
この文箱に直訴状を入れ、板橋の茶屋でわざと忘れた。茶屋は本物の僧が忘れたと信じ込んで寛永寺に届け出た。
寛永寺の貫主、輪王寺宮に就任したばかりの天真法親王は文箱の直訴状を見て綱吉に送った。
こうして茂左衛門の直訴はまんまと成功した。それと引き換えに茂左衛門は磔刑となる。
このとき、茂左衛門の妻子がどうなったか、わたしは詳(つまび)らかにしない。
茂左衛門とともに磔になったともいうが、本作では江戸で助けられる。あるいは作者のやさしさなのだろうか。
茂左衛門を物語の中心に据えた作者の創作意図は興味深い。
言うならば、京の雅と江戸の風情の対峙だけで本作を成り立たせたくはなかったのだろう。
美しさだけでなく、ひとの生き方とは何なのかを探し求めている。
ひとびとのためにおのれの一身を投げ捨てて悔いず、しかも見返りを求めない茂左衛門の生き方は、ひと言で言えば、
――侠(きょう)
だろう。任侠という限られた意味ではなく、自己犠牲を厭わず献身する生き方を〈侠〉と呼んでもいいはずだ。
そして冒頭の『子捕り蝶』で店の主人の息子を助けるため身代わりとなる飛松は幼いながらも胸に〈侠〉を抱いている。
飛松を助けるため金の工面に心を砕く善次郎の中にあるのも〈侠〉だ。
おりんがひとびととの出会いで何を得たかは次のように描かれている。
江戸へ出て来ることがなければ、蓮次には会えなかった。飛松にも会えなかった。
そして、それらの新しい出会いは、今、おりんにとって掛け替えのないものになりつつある。
おりんは静かに目を伏せた。重く沈みかけた心に、飛松の笑顔が浮かぶ。
(そうや、あの子のためにも、うちは更紗屋を立て直さなあかん)
おりんは重苦しいものを振り払うように、顔を上げると、きりりと心を引き締めた。
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