――今回、なぜ新撰組を手がけようとお決めになられたのでしょうか。
葉室 もともと時代小説の中でも、新撰組には特別なイメージがありました。子母澤寛の『新撰組始末記』、それと司馬遼太郎の『新撰組血風録』。この2冊は、新撰組のバイブルですし、それに対して自分が何か書けるのかという問いが、ずっと潜在的にあったんです。面白いのは、ふたりとも新聞記者なんですね。だから、子母澤さんの『始末記』なんか、前衛的、と感じられるほど独特な手法で、直接生き残った方に取材したものをベースにしているために特有の味がある。新撰組というのは、オーラル・ヒストリーがまだある中で語られていることが面白いところです。ほかの歴史物と違って現実の生きた言葉がフィクショナルなものも加味してではあるけれども、それなりに伝わっているところがあるんです。『血風録』は『始末記』に比べてずっと小説らしい姿をしていますが、司馬さんの視点には記者らしいノンフィクション的な味わいがあって、それも含めて非常に惹かれます。
それから私の世代は、子供の頃からこの2作品のテレビドラマを観て親しみがあって、そのことも今回書く上ですこしばかり関わっているかもしれません。
――2作とも、テレビドラマとして愛された作品でもあったのですね。
葉室 『新撰組始末記』は近藤勇を中村竹弥がやっていましたし、なんといっても印象深いのは『新撰組血風録』です。栗塚旭の土方歳三とか、沖田総司が『はぐれ刑事純情派』の情けない課長役の島田順司が演じていたりとか。このとき、斎藤一は左右田一平さんなんですよ。今では斎藤一ってオダギリジョーとか、イケメンにふられる役になってますけれど、『血風録』での左右田さんって、もっさりしてて、まあ、人はいいんだけど――っていう感じなのに、剣をとると強い。そのギャップがすごく好きでした。
――思えば、本作の主人公、篠原泰之進もいかにも美形、というよりは、悠然として強く、誠実で照れ屋、芯にとてつもなく熱い信念を持っている、そんな男ですね。
葉室 篠原泰之進は『血風録』の最初、「油小路の決闘」に出てくるんです。僕にとって司馬さんの篠原は、魅力的だったんですよ、とても。しかも、久留米であると。足軽の出なので、いわゆる藩士というのとすこし違うんですけども、久留米出身の柔術の達人です。
幕末から明治にかけての新撰組といえば、東国の人たちが京に出てきて活動したというイメージが強いですね。でも、九州出身で隊士になった人もけっこういるんです。そういう意味で東国の新撰組じゃない、西南の新撰組を書いてみたいという思いがありました。あと、新撰組って歴史好きの女性に人気があるじゃないですか。
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