おりんにも〈侠〉が宿ったと言えるのではないか。江戸での暮らしは自らを偽らず、ひとのために尽くす生き方を身につけさせていく。
ところで幕府と朝廷の間での対立にからんで、つぶれた京の呉服屋としては雁金屋が知られている。
雁金屋は徳川家から後水尾天皇のもとに入内した東福門院和子の御用達商人だった。
和子は後水尾天皇とともに、京の文人、茶人、絵師を集めてサロンを作り、はなやかな京文化の一時代を築いた。
だが、和子が延宝六年(一六七八)に没するや雁金屋も行き詰まり、店を畳むことになる。
この雁金屋の息子に生まれたのが絵師であり、現代で言えばアートデザイナーとも言うべき尾形光琳だった。
富裕な商人の息子として贅沢三昧な暮らしを送っていた光琳は同時に独特の美意識とそれを表現する技術を持っていた。
雁金屋の倒産に伴い、貧窮に陥った光琳は宝永元年(一七〇四)頃、江戸へ下った。
江戸では姫路藩主酒井家から扶持をもらい、豪商の三井家や住友家、冬木家などの援助を受けて暮らし、冬木家のために、手描きで秋草模様を描いた〈冬木小袖〉を残している。
おりんが江戸に向かったのは、和子が亡くなって三年後の延宝九年(一六八一)一月下旬だから光琳に先立つこと二十数年前ということになる。
この時、おりんは十六歳。光琳と境遇を同じくするおりんは、美しいものを理解し、京商人の娘としての勁(つよ)さを合わせ持っている。光琳に似ているのは「りん」という名だけではない。
尾形光琳が若い娘に変成(へんじょう)して江戸へ向かった物語かもしれない、と想像をたくましくしてみるのも小説を読む楽しみというものだろう。
おりんを主人公とするシリーズがさらに広がりを持つことは、本作に登場した、
――─新井君美(きんみ)
という人物が何者なのかということに関わっている。
作者の目はすでに元禄の世から次の時代にまで届いて準備をしているようだ。
豊饒で薫り高い作品世界が描かれていくことは間違いない。
さらに言えば『子捕り蝶』を始め、蝶のイメージが随所に現れるのは、京から江戸へ向かった女人たちの暗喩(あんゆ)かもしれない。
おりんもまた京から江戸へ架けられた橋を飛ぶ蝶だった。
最後に元禄生まれの名古屋の俳人、横井也有の句を添えておこう。
蝶々や花盗人をつけてゆく
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