短いとはいえ、巨匠スティーヴン・キングの新作長編小説がアメリカでハードカヴァーではなくペーパーバック・オリジナルで刊行されるのは異例のことです。刊行したのも、大手の出版社(近年のキング作品はアメリカの出版社の最大手のひとつ、Scribnerから出ています)ではなく、ペーパーバック専門の小出版社ハードケース・クライム(Hard Case Crime)でした。
じつはキングの新作がハードケース・クライムからペーパーバック・オリジナルで刊行されるのは『ジョイランド』がはじめてではありません。これ以前に『コロラド・キッド』が二〇〇五年に刊行されています。
名前から何となく見当がつくように、ハードケース・クライムは単なるペーパーバック専門の小出版社ではなく、ミステリー、それもハードボイルド/パルプ・ノワールを専門とする出版社です。現代ハードボイルドの名匠ローレンス・ブロックや87分署シリーズで知られるエド・マクベインの初期の犯罪小説、往年のパルプ作家たち――E・S・ガードナー、チャールズ・ウィリアムズ、リチャード・S・プラザーなど――の作品、さらにはこうしたパルプ・ノワールの影響を受けた現役作家の新作も、古き良きペーパーバックの体裁で刊行しています。カバーのイラストもいかにもパルプ・フィクションらしいイカしたもので統一されていて、同社のウェブサイトにある既刊本コーナーをみると楽しくなること請け合いです(http://www.hardcasecrime.com/books_bios.cgi)。
一方でスティーヴン・キングも、こうしたパルプな犯罪小説/ハードボイルド/ノワールの長年のファンでした。例えば、作家を主人公とする長編『ダーク・ハーフ』では、主人公サド・ボーモントが「ジョージ・スターク」なる別名義でパルプ・ノワールを書いているという設定で、じつに楽しそうにジョージ・スターク名義のヴァイオレントな犯罪小説を書いていますし、同作の巻末では、パルプ・ノワール作家シェーン・スティーヴンスへの熱烈な賛辞を記しているほどです。
そんなキングに、ハードケース・クライムの編集者が接触したのは、推薦文の依頼のためでした。ところがキングは、むしろハードケース・クライムの一冊として小説を書きたいと申し出たのです。こうして二〇〇五年、『コロラド・キッド』が同社からペーパーバック・オリジナルで刊行されます。
こんなふうに出版の経緯が特殊であることから、日本語版の『コロラド・キッド』は一般には販売されず、新潮文庫版《ダーク・タワー》第I部から第III部を購入した読者が応募すると一万人にプレゼント、というかたちでのみ刊行されました。
『コロラド・キッド』も『ジョイランド』同様、ミステリーの仕立てになっています。ロブスターが名物のメイン州の島、ムース・ルッキット島が舞台。そこの週刊新聞「ウィークリー・アイランダー」を長年にわたって経営/執筆/編集している二人の老人と、そこに四か月の就業体験に来ている学生ステファニーの三人が主要登場人物となります。
物語は、ボストンの大手紙からやってきた記者が島を去ってゆくところからはじまります。この記者は田舎町を回っては「未解決の謎」というシリーズ記事に使えるエピソードはないか取材していたのですが、二人の老人から目新しい話を何も聞き出せずに帰っていったのでした。記者を見送ったあと、ステファニーは老人たちに訊きます、「お二人は四、五十年もこの島で新聞を出してきたのに、未解決の謎にひとつも出会わなかったのですか」と。
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