――篠原泰之進は尊攘派で、真木和泉の尊皇論から始まって伊東甲子太郎のところに赴くわけですけれども、伊東は吉田松陰に繋がっている。このあたりの思想的な流れはどうみておられますか。
葉室 基本的には、吉田松陰も水戸の流れの中で整理したほうがいい、というふうに考えています。たとえば松陰が東北に旅行するとき、真っ先に行くのは水戸です。まとまった日数を滞留して、会沢正志斎と会う。司馬さんは、ご自身がイデオロギー的な人間を好きではないせいか、松陰はあまり水戸と人間の相性として合わなくてそれほど影響をうけなかっただろうという解釈をしているけれど、私はそうではないと思うんです。むしろ松陰の東北行の大きな目的のひとつは、当時の水戸に行ってみるということだったのではないか、あの当時の水戸が持っていた、いわゆる国防意識や尊皇論を肌で知っておこう、ということがあったのじゃないかと思います。
伊東甲子太郎や尊攘派の志士は、そうした流れから出てくる。伊東自身も新撰組に入りながらも最終的に自分の道を行こうとした。そこに篠原は連なったと考えていいんじゃないか。泰之進の話は赤報隊以降のことをほとんど書いていませんが、彼の長男の篠原泰親氏は明治になって建築家になるんですね。泰親氏は帝国ホテルの建築に参加して、アメリカ人建築家のフランク・ロイド・ライトに親しく指導されたとも言われます。
――ご一新以後は、だいぶ人生のイメージが変わりますね。
葉室 一筋縄でいかないし、なかなか面白いんですよ。子母澤寛は篠原泰之進の長男泰親に取材しているんです。だから子母澤の新撰組三部作には篠原がよく登場します。しかし、新撰組を近藤・土方で整理していくと、篠原泰之進が入ってこなくなる。ただ、今度、これを書いていてあらためて思ったのは、近藤の存在感の大きさでした。現代は土方歳三が能力的に高いとされてクローズアップされがちですが、史料を読んでみたら、近藤の実力のほうを強く感じました。単なる将軍のボディガード集団として上洛して市中取り締まりという警察官的な役割を果して、そのあとは政治家になっていく――つまり老中に意見を出し、長州との外交問題に首を突っ込んでいくわけですが、それは、普通の浪人上がりの剣客が簡単にできることじゃない。やはり新撰組は近藤だ、と思います。だから、彼が撃たれて力を失い、新撰組はつぶれていく。土方は新撰組の屋台骨を支えたけれども、補助の生き方のほうが際立つ人なのかもしれませんね。
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