――篠原は土方の冷やかさに対峙しながら、入隊2か月にして自らを「虎(=近藤)を狩る猟師」になぞらえていますが、のちの展開を思うと余りに暗示的です。
葉室 今度の篠原泰之進たちという一つのグループは、土方的な、秋霜烈日の厳しさに比すれば、人間的な甘さを残した人たちということになると思うんです。ただ私は人間的な甘さを残している人たちが簡単に否定されていいものではないと信じたい。篠原の土方への憤りには、その否定への瞋恚(しんい)があると思うし、そういうものを踏みつぶして何かを成し遂げるという考え方そのものに対する怒りは私にもあります。しかし、生きのびた人間には、否定された人間に寄り添いきれなかった思いもどこかに残る。反省もすごくあると思うんです。そして、それはずっと抱えていく問題であると。私の『銀漢の賦』でも、幼馴染だった源五と将監が長く対立しているのは、本当はひとりの人間の中での対立ともいえるんです。こうやって生き抜くしかないじゃないか、そう思って生きてきて、しかし、もとからの自分は違う、違う、と言い続けている。ただ、篠原泰之進は、そういう意味では枉(ま)がらない。新撰組の内側で「これは違うんだ」と言い続けた人間であると、そういう想定で書いています。
――葉室さんの読者のなかには、苛烈な時代のなかに生まれた恋愛の清冽さを好もしく思う向きも多いかと思うのですが、今回のヒロイン萩野、モデルがいるのでしょうか。
葉室 あの女性は実在しています。可能性として、名前はおぎの、かもしれないんですけど、はぎの、にしました。所帯を持っていたのは本当で、実は子供は泰之進の子だろうとされている。萩野にまつわる話は、泰之進を書く中での一つの魅力でした。こういう世界にいて、ちゃんと好きな人がいて普通の生活をもっているのは、大切なことじゃないか、と思うんです。それもいわゆる祇園の名妓を引かせて妾にしているというのとはちょっと雰囲気が違う。油小路で追われた後に、萩野が一生懸命助けようとしたくだりの史料もあるんですね。あれほど過酷な状況で、篠原泰之進が自分を失わないでいられたのは、ある意味では家庭があったからですよね。新撰組は、すごく過熱した組織じゃないですか。相乗効果で極限までいくぞ、というところがあって本来の自分ではやらないようなことまでやってしまう。そのなかで心のバランスがとれた状態を保つのは、きっと家庭があって、いや、普通に俺はあんまり死にたくないぞ、とか、そういうことを自然に思えていたからなんだと思います。
天才であるとか、英雄的であるとかではなくて――土方はそういう意味で、最後は死にますけど、ある意味、英雄的なのかもしれないですね――でも、そういう英雄に対するアンチヒーローとして生き延びる普通の人の存在、新撰組のなかの篠原を書いてみたかった。そう言うと、もうちょっと格好いい男のほうがいいという話になるかもしれないけど……。
――いえ、篠原泰之進、すごく格好いいです。
葉室 そう、自分の普通を貫いて生きられるやつは格好いいと思います。篠原はやはり自分を失っていないですよ。それは格好いいことだと思いますね。
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