インタビューほか

池波正太郎さんが世を去って四半世紀――いまなお残る、「鬼平」の残光。諸田玲子×逢坂剛

『平蔵狩り』 (逢坂剛 著)

寛政の時代には「武」があった

諸田 ところで逢坂さんが『重蔵始末』で描いた時代と、長谷川平蔵がいた時代は、同じなんですね。まるで池波さんに導かれたようです。

逢坂 ところが、まったくの偶然なんです。

 近藤重蔵を調べていくと、彼は御先手組与力の家に生まれて、市中取締りをしたという記録があるので、火盗改に出た可能性もあると考えた。そうしたらたまたま、この時代の火盗改の長官の一人が長谷川平蔵で……。だから重蔵と平蔵がどこかで出会ってもおかしくないんだけど、だからといって平蔵そのものを登場させてしまうのは、池波さんに失礼だと思ったんです。ですから、私は名前は出したけれども、人物としては長谷川平蔵を登場させていないんです。

諸田 舞台となっている寛政という時代は、たくさんの文人・墨客が輩出されていますよね。

逢坂 大田蜀山人とか、山東京伝とかね。文化の花が咲いた時代でした。しかも文化・文政の頃よりも、古きよき江戸の香りが残っていた。

諸田 そういう文化の部分と、武士が本来持っている荒っぽい武人的な気質が、寛政の時代にはちょうどミックスされていたと思うんです。

 大飢饉などもあって世の中が混沌とし、盗人も多かった時代でしたから、まだ火盗改が力を持っていたんですね。天保までいくと、町民が力を持って町奉行所が強くなってしまう。火盗改は乞食芝居で、町奉行は檜舞台という言葉もあったくらいですから。

 逢坂さんの『重蔵始末』も『鬼平』も、男の強さが漂っている小説は、寛政が舞台だから成り立ったともいえるのではないでしょうか。

 私が『あくじゃれ瓢六』の舞台にしたのは天保なんです。町奉行所などを舞台にした、いわゆる人情物を書こうと思うと、天保のころになってしまう。現代人に近い悩みが出てくるのは、天保になってからですから。

逢坂 なるほど、その通りかもしれないですね。幕末は別として、江戸時代も後半になればなるほど、チャンバラなんてしたことがないという侍がどんどん増えていくわけだから。

 寛政の時代は、端境期(はざかいき)といえるでしょうね。ちょうどロシアの船なんかが蝦夷地に出没しだしたのも寛政だった。ラクスマンが来たりして、もうそろそろ開国しなくちゃいけないんじゃないか、という変わり目だった。

諸田 この時代を舞台にした鬼平を読んでいてホッとするのは、すべてに道理や理屈があるんです。殺す側には殺す側なりの理屈がある。

逢坂 泥棒にも三分の理というのがある。長谷川平蔵が、悪人に理解を示すシーンなんか、すごく説得力がある。

諸田 「蛇の眼」のなかに「悪を知らぬものが悪を取りしまれるか」という良いセリフがありますよね。

 悪人にも、三分の理があるので、なぜこの人がこうなったのか、というところに物語がある。だからこそ、現代に生きる私たちが読んで温かな気持ちになれるんだと思います。

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平蔵狩り
逢坂剛・著

定価:本体660円+税 発売日:2016年12月01日

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