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池波正太郎さんが世を去って四半世紀――いまなお残る、「鬼平」の残光。諸田玲子×逢坂剛

池波正太郎さんが世を去って四半世紀――いまなお残る、「鬼平」の残光。諸田玲子×逢坂剛

『平蔵狩り』 (逢坂剛 著)


ジャンル : #歴史・時代小説

読者がシリーズものを育てる

逢坂 諸田さんは、鬼平のどの作品がお好きですか?

諸田 そうですね。「むかしの男」という作品でしょうか。

 平蔵の妻女久栄には、昔惚れた男がいたんです。この男が今では悪党になっているんですが、平蔵は傷ものだと知った上で妻にした。

 この地の文で、「以来、ただの一度も、平蔵は妻の過去へふれたことはない」という一節があるんです。こういうところに惹かれます。最後に久栄は、「女は、“男しだい”にござります」という。

 平蔵がいい男だから、いい女が側にいるんだな、と。そしてこれを書かれた池波さんもやっぱりいい男だったに違いない。

逢坂 そうね。まあ、あんまりハンサムとは言えないけどね(笑)。ほんとに男っぽい男だった。まさに文士です。

諸田 あるインタビューで、池波さんは、こう語ってらっしゃいます。

「小説のなかではいくらでも裸の自分を見せることができるのに、随筆となると、どのように裸の顔を見せたらよいのか分らない。

 自分の想念や言動を小説中の人物に托して表現することは、ぼくにとってずっとやさしい。誰にも悟られぬように、裸の自分が老人や女や武士や盗人に変身して表現することができるんです」と。

 小説のなかに、自らを投影しているということなんですね。

逢坂 自分の考えていることを声高に述べるというのは、ちょっと衒(てら)いもあったりしてなかなかできないけど、小説の中の人物に言わせたりすることは比較的簡単にできるんです。

諸田 それはすごくありますね。特に時代物だと、自分は全然ダメなんだけど、こういう女になりたい、こうありたいと強く願うことは書けるんです。

 それとともに、鬼平を繰り返し読んでいて感じるのは、シリーズものは、読者が育ててくれるんだな、ということです。自分もささやかながらシリーズものを書いていて、ひしひしと感じています。

逢坂 いや、全くそのとおりで、作家は読者からの反応がないと、やっぱり書いている張り合いがなくなって、途中で挫折するかもしれないんです。

諸田 池波さんだって、当初はそんなに続けるつもりで書いていらしたんじゃないと思うんですよね。それが続けていくと、読者の思いも、物語も膨らんで……。

 巻数が増えるに従って、登場人物の背景が明らかにされていくようなストーリーがはいってきます。読者に支持されると、そのキャラクターが膨らんでくる。

逢坂 何度も登場させると、自分なりに愛着がわいてきたりしてね。でも、そのキャラクターがいきなり死んでしまうことがある。

諸田 密偵の伊三次はまさにそうですね。

 読者にファンが多かったキャラクターで、なぜ殺してしまったんだ、という投書がずいぶんきたそうなんです。

 池波さんはインタビューでこうおっしゃっていました。

「僕だって死なせたくはない。だけど僕は彼の逃げ道を用意しておかなかった。だから伊三次を追い込んだことを悔やみながら、もう助けようがないんだ」と。

 小説を書いていると、登場人物の運命が定まってくる、と感じるときがあるんです。自分の力じゃないものに書かされている感覚というんでしょうか。

逢坂 諸田さん、そうなるとね、作家はもう一人前ですよ。小説の怖いところに踏み込んできた証拠ですね(笑)。

諸田 まだまだです。そんな感覚はときたましか訪れてくれませんから。でも、最初にもいいましたが、最近になって池波さんの凄さを改めて感じるんです。

逢坂 私もそうです。執筆の合間になにげなく『鬼平』を手に取ると、ふっとその世界にはいって一本読み終えてしまう。何度も読んでいるはずなのに、初めて読むかのように楽しめる。

諸田 まさに、リピートに足る小説です。百年たっても色あせず、読み継がれていく小説だと思います。最初に申し上げた婦人も、押入れに鬼平だけをいれて、何度でも読む。ほかの小説に行かないで、鬼平に戻ってしまう。

逢坂 そういう読者を一人でも持ちたいなあ(笑)。池波さんは、読者を高く買っているから、そういう関係性を築くことができるんだろうか。

諸田 読者を信じて、その読者に長く育てていただけるように――。

 そんな作家になりたいですね。

(「オール讀物」二〇〇八年七月号)

文春文庫
平蔵狩り
逢坂剛

定価:935円(税込)発売日:2016年12月01日

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