「博覧強記の男」の映画論
本書は、映画に関する記憶の断片で成立している。端的にいえば、彼がバラエティを作りながら見まくった映画の話だ。それも、彼の生きた時代の通史にもなっている。
だが、タイトルに偽りがある。ヒット番組に必要なことを吉川さんは、すべて映画から学んだわけではない。本書のなかでも、いくつかの書名が挙げられているが、書物からもかなり学んでいる。なにしろ読む冊数が半端じゃない。読むスピードも尋常じゃない。おそらく、一日一冊、一年間に365冊は読んでいるはずだ。しかも、その内容は多岐に亘る。
なぜそれがわかるかというと、例えば、メールなどでぼくが「あの本、面白かったですよ」と書いたとすると、翌日、はやいときにはその日のうちに、「早速、読んでみました」と縷々感想が綴られたメールが返ってくるという次第。かてて加えて、映画も一日一本は見ているようだから、これも年間365本。本書で、吉川さんは自らを“悪食”だと自嘲気味に語るが、テレビを作るには、それが必要最低限の事だと信じて目を通しているのだろう。
その結果、当然のことながら、彼は私が知る限りでは、ちょっと類をみない「博覧強記」の人となった。
しかも、である。それぞれの内容をしっかりと憶えているのだ。ぼくなど、読みっぱなし見っぱなしで、自慢じゃないが、次から次へと内容を忘れてしまう才能には自信があるし、これまで実際、ずっとそうだった。
いったいなぜ吉川さんは、憶えていられるのか。彼の記憶の方法は、読み終えたあと、あるいは見終えたあと、その作品を整理してポイントを端的に短い文章にまとめ、気が向いたら、エピソードを丸ごと具体的に記憶し、自分の脳に刻みつけるのだと思う。彼の脳内は、整理整頓、きちんと片付いている。そして、それ以外の情報はすべて捨て去る。たぶん。
なぜそれがわかるかというと、吉川さんは、自分が読んだ本や見終ったビデオを、未練無く、即座にぼくに送ってくれるからだ。想像だが、送る相手はぼくだけに限ったことじゃないはずだ。自分が読み終えた本と見終ったビデオを選別し、それぞれの友人の個々の関心や嗜好にあわせて送っているフシがある。
なぜそんなことができるのか。その理由を、ぼくは勝手にこう決めている。それは吉川さんが理科系の人だからだ。理科系の優秀な人は、一度組み立てた理屈を正確に記憶する才能がある。文科系の人にありがちな、時に応じて話が変わるということがない。ぼくの友人に理科系の出身でありながら、現在、弁護士をやっている人間がいるが、彼にしても、まさにそういうタイプだ。
学生時代から、吉川さんはずっとそうしてきたのだろう。たぶん。
以上、ぼくの推理だが、正しいかどうかは吉川さんに聞く以外に無い。
さて、本書を既に読まれた方には納得していただけると思うが、本書においては、そうした吉川さんの「性癖」が遺憾なく発揮されている。