直木賞を頂いた「利休にたずねよ」を『月刊 歴史街道』で連載していた時、忘れられないエピソードがあった。
連載は順調に進み、いよいよ最終章のプロットを考えているとき、珍しく彼がわたしにたずねた。
「最後に宋恩は、緑釉の香合をどうしたらいいかな。自分が宋恩なら、どうする?」
「おさえていた感情が爆発して、割ってしまう。」
迷わず答えた。わたしの意見を尊重したかわからないが、最後はそうなった。今、同じことを聞かれたら、わたしは違うことを答えるだろう。
「香合を、そっと抱きしめる。」
どうして『割る』と、答えたのだろう。
あの頃のわたしは、彼の小説に“嫉妬”していたのかもしれない。それほど彼の頭の中は、小説でいっぱいだった。
それは病室でもかわらなくて……。わたしたちの最後の会話は、仕事のことだった。
分子標的薬が効かなくなり、病状が悪化し、二度目の入院をしていた二〇一四年二月。
呼吸が苦しいのに酸素マスクをはずして、一生懸命、文字を書きながら伝えていた。
わたしが「わかった」と答えると、安心したようにうなずいた。
それから、彼は話さなくなってしまった。
愚痴や弱音はもちろん、八つ当たりもしない。特別な言葉もないまま、話せなくなってしまった。
病室で何度もきいた『ありがとう』の記憶だけを残して、兼一さんは旅立ってしまった。
かっこよすぎ……。その優しさが、強さが悲しくてたまらなかった。
ある日、残った原稿を読んでいたら、兼一さんの『こころ』を見つけた。
それは、最後まで手直ししていた作品の、主人公の中に――。
自分の身体の苦しさを、主人公に語らせていたんだ……。息が詰まった。だけどわたしは、昔のように、小説に“嫉妬”はしていない。彼は、最後まで作家であった。
お別れして一年。
一人に慣れたけれど、元気に暮らしているけれど、やはり寂しい。
兼一さんは、「家のごはんが一番」と、家族そろっての夕食の時間を、大事にしていた。
車のエンジン音を低く響かせ、仕事場から帰って来る時刻は、いつも七時十分前。
子どもたちが小さい頃は、車のエンジン音が、食事のお手伝いの合図だった。
七時十分前、もうあの音は聞こえない。
一人きりの夕食は、いつになると慣れるのだろう?
料理を作る事が好きで、美味しいものを探すのも大好き。二十七年、家族のごはんを作り続けていたら、いつのまにか「山本家の味」が出来上がっていた。
だから兼一さんは、「家のごはんが一番」と、言ってくれていたのだろう。
「今日は、何が食べたい?」
と聞く楽しさ。それと同時に感じる、ちょっと面倒な気持ち。
この感覚が、好きだった。
今、彼にたずねたら、
「牡蠣フライがいいな。」
と、答えるだろう。
ソースを少しつけ、たっぷりのタルタルソースと一緒に食べるのが、好きだったものね。
返事がなくても、わたしには、わかる。
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