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「自然」を詠みこめるという思いから、藤沢周平は俳句の世界へ入っていった

「自然」を詠みこめるという思いから、藤沢周平は俳句の世界へ入っていった

文:湯川 豊 (文芸評論家)

『藤沢周平句集』(藤沢周平 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 結核療養所の病状でいうと、二十九年は手術の予後がわるく、二人部屋での療養が長くつづいたが、三十年からは回復に向い、安静度四度の大部屋に移っている(前出の「完全年譜」による)。

 そしてこの年、病院内で詩の会「波紋」が結成され、発起人の一人として同人になっている。句作をやめてしまったというわけではないが、関心が文芸全般にひろがっているし、それはまた、昭和二十六年頃に藤沢が参加していた同人誌の時代につながる心の動きでもあったようだ。三十一年には病院の自治会文化部の文芸サークル誌へ寄稿したりもしている。

 三十二年十一月、篠田病院・林間荘を退院。郷里で教師に戻る道は閉ざされていて、友人の紹介で東京の業界紙に就職。この就職先はきわめて不安定で、その後一、二の業界紙を転々とし、日本食品経済社に入社して生活がようやく安定するのは三十五年を待たなければならなかった。

「小説『一茶』の背景」というエッセイのなかで、自分は句作のほうはのびなかった、昭和三十年頃には、才能に見切りをつけたあんばいだったと書かれている。しかし同じエッセイのなかで、「そしておかしなことだが、俳句とのつきあいが、ほとんど読書だけのものになってしまったそのころにも、実作上の劣等生である私は、俳句を作ることをまったくあきらめたわけでもなかったのである」とも記している。

 それにひきつづき、昭和三十一、二年ごろ、馬酔木の杉山岳陽が池袋で定期的な句会を開いていた、それを知って、その句会に出たいと思ったが、結局一度も出ることがなかったと、「馬酔木」への関心が語られている。

 そしてこのたび、その関心の証拠物のように、藤沢周平関連の遺稿文献のなかから「馬酔木」への投稿句が見つかった。発見したのは遺稿管理者である遠藤崇寿・展子さんご夫妻である。

 昭和三十六年と七年、「馬酔木」に月に一句ずつ小菅留治名で投稿句が掲載されていた。また三十六年の分では、作者の手書きで、その句を含む数句が月ごとにまとめられていたのである。他に例会作品と区分された作品群もあり、あわせて、本文庫版で初めて公開することになった。

 さらにもう一つの発見がある。

 角川書店が発行していた「俳句手帳」というものがあり、そこには俳句を書き入れておく空欄がある。その昭和五十三年版に、三十句が記入されており、手帳発行の年からいって、句の多くは藤沢周平が作家になってからのものと推定される。「馬酔木」関連のものと併せて、ここに初めて活字化することを喜びたい。

 私はとりわけ「俳句手帳」にあって、静かで明澄な句の数々に心惹かれた。

文春文庫
藤沢周平句集
藤沢周平

定価:770円(税込)発売日:2017年09月05日

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