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「自然」を詠みこめるという思いから、藤沢周平は俳句の世界へ入っていった

「自然」を詠みこめるという思いから、藤沢周平は俳句の世界へ入っていった

文:湯川 豊 (文芸評論家)

『藤沢周平句集』(藤沢周平 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 藤沢は、「悌二郎の句はうつくしいばかりではない、美をとらえて自然の真相に迫る」とめずらしく断言し、それにつづけていう。

《俳句における私の好みの偏りは、ごく端的に、諳(そらん)じている句の数を比較すれば明瞭になる。私がすぐ口に出来る句の大半は自然を詠んだもので、そのほかの句は、眼にすればたちまちに思い出しはするものの、またたちまちに忘れて行く。》(「『海坂』、節のことなど」)

 俳句というわずか十七字の定型詩には、自然の真相に迫る力がある。二十六、七歳の小菅青年は療養所の病院でそのことに気づいた、といっていいのではないか。

 しかし、このように話を進めてくると、不審に思う人があるかもしれない。この本で、〈「海坂」より〉、あるいは新たに活字化された〈「馬酔木」より〉、〈「俳句手帳」より〉などの藤沢周平自身の句作を見ると、心情や人事を詠んだ句がけっして少なくない。藤沢がいう「自然を詠んだ句に執する」ということからすれば、話が通りにくいと思われもする(私自身もそう思ったことがなくはなかった)。そういって、たとえば次のような代表作を差し出してみせることができるかもしれない。

 

  汝を歸す胸に木枯鳴りとよむ

  冬潮の哭けととどろく夜の宿

  野をわれを霙うつなり打たれゆく

 

 たしかに、作者の深いところにある感情が不意に浮び上ってくるとでもいえるような句作りである。単純な自然描写ではない。しかし、感情が浮び上ってくるその場所には、避けようもなく自然がある。それは右の三句に共通している。これは、まず最初に「自然の真相」を言葉によってとらえるという志向と技巧がなければかなわぬことではないか。

 何よりも自然を詠みこめるという感動から俳句の世界に入っていった。その道筋のさらに進んだところに、自然と人間が一体になる世界があったとしても、それは少しも不思議なことではないだろう。

 そして付け加えていえば、私たちは後年、そのような姿勢で自然と人間のからみが散文によってみごとに描かれるのを、藤沢周平の小説の随所に見ることになるのである。

 藤沢周平の俳句作りについて、もう少し話を進めなければならない。それによって、この文庫版『藤沢周平句集』で一般読者に対しては初めて公開することになった、〈「馬酔木」より〉、〈「俳句手帳」より〉の百に余る句の由来を説明したいのである。

 昭和二十八年と九年の二年間、厳密には一年半ほどが、真剣に句作した時期だったと、藤沢周平は何度か書いている。エッセイが書かれた、ほぼ三十年後の回想のなかではそれは真実の思いだったのだろう。

文春文庫
藤沢周平句集
藤沢周平

定価:770円(税込)発売日:2017年09月05日

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