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 この本に収められた藤沢周平の俳句作品について、私には何か論評めいたことをいう意思はないし、またその能力もない。「自然を詠んだ句に執する」という藤沢の言葉を脳裡に置きながら各人各様に読んでみるしかないと思っている。

 ただ評するというのではないけれど、二つばかりいっておきたいことがあるので、読者のご参考までに記しておくことにする。

 一つは、ごく個人的な好みから発している。私は桐の花が格別に好きだ。全体が円錐形をした紫色のこの花が、渓流釣りのハイシーズンを告げているということもある。そして「海坂」への藤沢の投稿句には桐の花を詠んだものが少なくない。療養所付近で実際に目にしたのだと思われるが、庄内の旧黄金村の生家にも桐の木があったと、藤沢は書いている(「初夏の庭」)。

 桐の花のイメージが重なっているのだろう。桐の花の句には、すっきりした写生句からはじまって、病者の思いが深く現われてくるような句もある。いわば「自然」から出発して句境が深まっていく姿がそこにはあった。

 

  夕雲や桐の房咲きにほひ

  桐の踏み列が通るなり

  桐の咲く邑に病みロマ書讀む

  桐咲くや掌觸るゝのみの病者の愛

 

 もう一つは、先にもちょっとふれたが、主として「俳句手帳」にあった句の、静寂と明澄が同居している姿に心打たれた。それをいくつかあげておきたい。

 

  春昼や人あらずして電話鳴る

  穂芒に沈み行く日の大きさよ

  曇天に暮れ残りたる黄菊かな

  雪女去りししじまの村いくつ

  眠らざる鬼一匹よ冬銀河

 

 句はすべて故郷の村がイメージを喚起しているように思われる。また、雪女と鬼一匹の句には微妙な諧謔(かいぎゃく)がにじみ出ていて、作家の中期以降の小説作品を思わせもする。それらのことが私にとってはとりわけ魅力的だった。