「貴様も、ここに着いたのか」
「ええ、まあ」
「こまったものだ。貴様のような“でも”建築屋がいるから俺の値打ちが出ん」
金吾は、わざと鼻すじにしわを寄せた。“でも”建築屋というのは志のうすい、建築屋“でも”やるか程度の意識でこの道に入った人間という意味である。時太郎はおさないころと同様、けろりと言い返した。
「“でも”がいるから本物の値打ちがくっきりと出る。むしろ辰野さんは私に感謝すべきだと思いますがね」
「加勢に、来ぬか」
「上司の許可を得なければ」
「天邪鬼め」
「おたがい様です」
おそらく日本初の民間の建築事務所であろう辰野建築事務所は、このようにして誕生した。看板に岡田の名を立てなかったのは、この時点では、腕が未熟だったからである。共同経営者というよりも助手ないし子分の待遇。
(いまは、それでいい)
金吾はそう判断した。時太郎には図面引きはもちろんだが、人件費の計算やら諸官庁への届出やら、書類仕事もやってもらう。裏坊主町の悪童連が、日本の表通りを闊歩するのだ。
事務所の所在地をさしあたり京橋区山下町の経師屋・松下勝五郎宅の二階としたのは、じつはこの勝五郎も、かねがね江戸の唐津藩邸に出入りしていたという縁がある。とはいえオフィスの独立がかなうなら、それに越したことはないわけで、
(建築家が、職人の店子か)
そのことに、金吾はややこだわった。問題はやはりお金の有無なのである。西洋ではこんなことは考えられないのではないか。ともあれ事務所は発足した。そこへ最初に来た郵便物は、コンドルからの手紙だった。
――おめでとう。辰野君の人生のために、日本の建築界のために、慶賀すべき第一歩です。官と民との二刀流、りっぱな使い手になることを期待します。
という文面はもちろん英語で、万年筆でさらさらと書かれていたが、その右下にそえられた自筆の絵は、どうしたわけか、やまと絵ふうだった。日本古来の筆と墨でさっさっと金吾らしき風貌の男が描かれている。男は左右の手にそれぞれ抜き身をかまえ、いままさに右手のそれで巻き藁を斬らんとしているところ。
「……先生」
金吾はそれを机に置き、手を合わせて拝んでから、ただちに返事書きにとりかかった。洋紙の上に万年筆で、もちろん英語で、しかし絵はそえなかった。
金吾は絵が苦手なのだ。封筒に入れて封緘して、時太郎を呼び、
「先生のお宅にとどけてくれ。ほんとうは俺自身がうかがうべきだが、授業の時間だ。くれぐれもお礼を申し上げてくれ。くれぐれもな」
金吾がそれから学校へ行き、授業を終えて、経師屋の階段をふたたび上がると、時太郎はもう帰っている。やることも特になかったのだろう、畳の部屋のまんなかにあぐらをかいて大福餅をむしゃむしゃ食っていたのが、にわかに正座して、
「吉報です。コンドル先生が……」
「大福餅をくれたのかね」
「いや、これは帰りに私が。コンドル先生、臨時建築局の御雇になられたそうですよ」
祝意あふれるまなざしを向けた。金吾は、
「何」
顔をしかめ、思わず本音をもらした。
「こまる」
「え?」
「こっちの事務所が、つぶれてしまう」
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