そこでやはり、
(“民”を、やらねば)
いざというときの収入の確保のためでもあるが、それ以上に、仕事の受注のためだった。文部省の一官吏には、基本的に、文部省以外の話は来ないのである。
現にさっそく、
――帝国大学工科大学の、新校舎を建ててくれぬか。
という内々の依頼が来ている。要するに地面に箱を置いてくれと言われたにひとしく、腕のふるいようがないばかりか、何かしら、あごで使われる感じは否めないのだ。この民ということに関しては、金吾はもう廃省の直後から考えている。
「俺といっしょに、事務所をやらぬか」
と、達蔵をさそうつもりだった。
「イギリスふうに共同の名義で。曽禰君、君もどのみち帝国大学の助教授に任じられるには相違ないが、それで満足はしないだろう」
がしかし、みょうなもので、
(看板は、どの順で行こう。辰野曽禰建築事務所か。それとも曽禰辰野とすべきか)
いまの立場を示すなら前者がもちろん自然だし、達蔵も反対はしないだろうが、金吾自身、尻が落ちつかぬ気がする。われながらつまらぬ懸念だけれども、ここでもまた生まれついての感覚というものが微妙にしかし効果的に作用して、行動の足枷になっている。
われながら、始末にこまる。結局、
「加勢に、来ぬか」
声をかけた相手は、達蔵ではない。
岡田時太郎だった。裏坊主町のころからのおさななじみで、五つ年下。家も向かい合っていたので、ときどき家でいたずらをして叱られると、
「姫松のおばさん、助けてくれ」
と金吾の家にとびこんで来たものだった。可憐さと、ふしぎな狡猾さがある子供だった。
長じては、耐恒寮の仲間でもある。ブーツと勉強がことのほか好きで、あの大酒飲みの東太郎先生からはつねづね、
――あんまり勉強しすぎると、頭が悪くなる。
などと警告されたものだったけれども、時太郎はそののち、金吾や達蔵のように東京へ出ることをえらばず、なぜか大阪の造幣寮に入った。
たったひとりで力だめしをしたかったのかもしれない。ところで造幣寮というのは紙幣を刷るための官庁であり、製紙に使う薬剤、インキなどに関する技術や装置や知識がつねに庁内にあふれている。むろん工場もある。
一種の化学プラントなのである。時太郎はその後やはり東京へ出て、文部省に入ったが、こんな大阪での経歴からだろう、
――帝国大学理科大学が、このたび化学実験場をつくる。その建築を手伝うべし。
との命を拝した。そうしてその仕事をはじめたところ、その現場のごく近くで、金吾が工科大学の新校舎を建てていたのである。
或る日、ふたりはばったり会った。
「おう、岡田君」
「辰野さん!」
「元気みたいだな」
金吾はそう言おうとして、つい笑ってしまった。あの「助けてくれ」の時太郎が、金吾といっしょに東京へ出る人生をえらばなかった時太郎が、結局はいま、こんなところで、図面をにらみつつ大工の棟梁にあれこれ指図している。
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