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マジシャンの特設展

マジシャンの特設展

文:宮部 みゆき (作家)

『名画の謎 陰謀の歴史篇』(中野京子 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

『名画の謎 陰謀の歴史篇』(中野京子 著)

「謎」も「怖い」も、とても日常的なエモーションです。それがコンセプトになることで、美しく素晴らしく貴重で、だからこそ「敷居が高い」感を漂わせていた西洋絵画が、一気に身近なものになりました。誰でも心を引き寄せられて、切実な興味を抱いてしまう。これがまず中野さんの凄いところです。

 さらに、そうやって鑑賞者の心をつかむと、それからおもむろにそれぞれの作品が世に出た背景や、作品中に描かれている人物や事象、その作品を生み出した国の歴史や、画家の個性や生き方や境遇など、それまで教科書的に(上から)教えられてきた知識を、「お勉強でございます」ではなく、私たちが進んで知りたくなるように語ってくれる。これは中野さんが美術史や絵画の研究家ではなく、作家であり文学者であるからこその技でしょう。

 作品の成立した背景を正しく知り、本物の教養に触れる楽しみを覚えると、今度は私たち読者の側の鑑賞するまなざしも変わってきます。「謎」や「怖い」のような普遍的なコンセプトに沿って得た知識はスムーズに血肉となるので、中野さんのご本を置いて美術館に出かけても、他の画集を開いても、それまでとは鑑賞する姿勢が違ってくる。これこそが「中野効果」。芸術についての知識を得て教養を深めてゆくのは、実はとても幸せなことなのだと私たちに教えてくれる素敵な効果です。

 本書は全十七章、どこから開いても楽しむことができますが、個人的にピックアップするならば、たとえば、第二章「産業革命とパラソル」に“展示”されているスーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』。中学の美術の教科書で初めて見て以来、私はこの絵が好きで、スーラという画家のファンになりました(色鉛筆で点描画の真似っこをしたものです)。でも中野さんの解説に出会うまで、ここに描かれている色とりどりのパラソルが「産業革命の申し子の一つ」だということ――この名画が産業革命の時代だからこそ描かれ得た作品なのだということは知りませんでした。絵のなかの男女が社会階層的にどんな立場の人たちなのか考える機会もなかったし、ペットのお猿さんの意味もわからなかった。

 それらを知ってあらためてこの名画を見直すと、うららかな日曜日に水辺に集う人々を描いたこのきれいな絵の奥には、きっちりと時代が刻印されていることがわかってきます。「傘工場は女性の雇用を促進した」。つまり、これらのパラソルは女工さんの手になるものだった。そして女工さんが登場するには、産業革命と機械化による大量生産という舞台が必要でした。スーラを新印象派の画家の一人だと分類し、点描法に拘った画家だと「知って」いるだけでは、本当にこの絵が切り取った時代を理解したことにはならないのです。「スーラはオタクだった」というのも楽しい。この一文で、もうこれ以上ないくらい、スーラという画家の個性がよくわかりますよね。オタクも、私はやっぱり好きですけど。

文春文庫
名画の謎
陰謀の歴史篇
中野京子

定価:946円(税込)発売日:2018年03月09日

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