
そして最後に残るのが「その木戸を通って」のふさである。記憶喪失という絶対的な条件が、どこに位置させることもできない不思議さを持つことになる。日常のふさは若き日のやすのようでもあるが、過去の記憶が甦りかけた瞬間、自身を制御できなくなる。制御できないというより別人になってしまう。そこにおいて、ふさはおさんよりはるかに遠いところに行ってしまうのだ。
一方、「あだこ」の小林半三郎、「晩秋」の進藤主計、「おたふく」の貞二郎、「菊千代抄」の椙村半三郎、「その木戸を通って」の平松正四郎、「ちゃん」の重吉、「松の花」の佐野藤右衛門、「おさん」の参太、「雨あがる」の三沢伊兵衛らの男たちは、このさまざまなところに位置する女たちに、明るかったり昏かったりする独特な光を照射されることで、一瞬、輝くことになるのだと言える。#2へ続く
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