日本銀行は、日本最初の中央銀行である。その記念すべき新築事業をもしも外国人が請け負ったら、ほかの仕事も、やはり政府は外国人にたのむだろう。
最初の中央駅、最初の国会議事堂、最初の総理公邸、最初の大審院……存在そのものが国家の権威となるようなこれらの建物が、日本人以外の手でデザインされるのだ、たとえば鹿鳴館がそうだったように。
しかも自分は、
「日本人、第一位だ」
金吾はそう言い、おのが鼻を指さした。これは謙遜の必要がない。過去の経歴により客観的に証明し得る、いわば動かぬ事実である。その第一位が、この期におよんで外国人の下請負に甘んじたら二番目以下はどうなるか。曽禰達蔵も、片山東熊も、佐立七次郎も、主役になる日は、
「永遠に、来ない」
金吾はつづけた。実際、あの東京の官庁街を再編成すべく新たに設けられた臨時建築局は、日本人など眼中にない。
優秀な建築家は、
――ドイツにしか、いない。
と言わんばかりに、ヘルマン・エンデとか、ヴィルヘルム・ベックマンとかいう大物を招聘しようとしているという。臨時建築局総裁・山尾庸三はこのふたりに、
――東京を、まるごと任せよう。
という腹なのだろう。中央駅も、国会議事堂も、司法省も、大審院も。
要するに、東京をベルリンにするつもりなのだ。いや、ベルリンの醜い“まがいもの”に。おそらく山尾や彼らの部下は、本心では、このたびの日本銀行もドイツ人でやりたいのだろう。
エンデ、ベックマンに注文したいのだろう。その招聘がたまたま間に合わぬから、手近なコンドルに、
「白羽の矢を立てようとしている。先生はいわば次善の策なのだ」
「次善の、策……」
「わかるな、時太郎」
どちらにしろ、金吾には都合がよろしくない。ドイツ人がやろうがイギリス人がやろうが、外国人の下請負では、辰野建築事務所のほうは純粋に経済的に考えても大発展はないのである。
「わかるな」
金吾がもういちど念を押すと、時太郎はうなずき、
「わかる」
あぐらをかいたまま、うなだれてしまった。その黒いみじかい髪は、いまや汗でぺったりと頭頂の皮にへばりついて起きあがれない。かぼそい声で、
「……受けたかったな」
「受ける」
金吾はそう言い、身をのりだした。
“くわ”と役者のように目を見ひらいた。時太郎は顔をあげて、
「え?」
「日銀の仕事は、こっちへもらう。先生から奪う」
「むりだ」
と時太郎は即答したが、金吾はさらに速く、
「山尾氏へ直訴する」
「総裁の?」
「ああ」
「面識は……」
「なし」
金吾はそう言うと、にわかに立ちあがり、背広の上着を、チョッキを、ズボンをぬいで下帯ひとつになって、
「山尾氏は、長州藩領小郡の出身だ。東熊に仲介をつけてもらう」
部屋のすみへ行き、畳の上に置かれた行李から普段着の和服をひっぱり出し、身につけた。時太郎はなおも身を動かさず、
「会えたとしても、翻意までは……」
「さっき言っただろう、コンドル先生は次善の策だと。金輪際、変えられぬ案ではない」
「し、しかし……」
「私があきらめるということは、日本があきらめるということだ」
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