前回までのあらすじ
藤戸藩の道具役(能役者)屋島五郎の長男として生まれた剛。しかし、幼くして母を亡くし、嫡子としての居場処も失った。以来、三つ齢上の友・岩船保の手を借りながら独学で能に励んできたが、ある日、頼みの綱であった保が切腹を命じられる事態に見舞われる。さらに、藤戸藩の御藩主が急死し、剛が身代わりとして立てられることに。そこには、保が遺した言葉と、能が舞える御藩主を求める藩の事情があった。役目を引き受け江戸入りを果たした剛に、目付の鵜飼又四郎と江戸留守居役・井波八右衛門は、城内における「奥能」の存在について話す。最初の登城で首尾よく奥能に繋がる人物のひとり、豊後岡藩の中川修理大夫久教と接触し「内々の能」に誘われた剛は、その場で見事「養老」を舞い切った。
次の舞台は想ったよりも早かった。あるいは、次の舞台へ気を集め切れぬうちに招請の知らせが届いた。
鉄砲洲から十日と空くことなく、江戸留守居役の井波八右衛門の口から、日向延岡藩の江戸屋敷より御招きがあったことが告げられたのだった。
「延岡藩の石高は岡藩と同じ七万石ではありますが、ただの七万石ではございません」
八右衛門はつづけた。
「まず、延岡藩を預かられる内藤家は外様ではなく御譜代でございます。それも柳営が開かれる前からの古来御譜代ですので、控える殿席は帝鑑之間になります」
八右衛門は変わらずに、念の入った注釈を加える。
「次に、内藤家が治めるのは日向延岡藩だけではございません。他に、支藩が二家と別家が三家ございます」
これまでも八右衛門の丁寧さにはずっと助けられてきた。
「支藩は陸奥湯長谷藩と三河挙母藩、そして別家は越後村上藩と信濃高遠藩、同じく信濃の岩村田藩であります」
この臣僚の手抜きのなさには感謝を通り越して爽快の感すら覚えることがある。
「これら五家の石高を合わせれば、実に二十万石ほどにもなります。御譜代で二十万石となりますと、さすがに彦根井伊家には及ばぬものの、やはり御大老を送り出す御家柄である酒井家の姫路藩をも上回ります」
その日も、知らずに耳に気が行くように言葉を組んでいく。きっと八右衛門はどんなに軽い御役目に就こうとも、あるいは士分を離れようとも、変わることなく目の前の己れが為すべき事に励むのだろう。
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