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『跳ぶ男』青山文平――立ち読み

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

別冊文藝春秋 電子版19号

文藝春秋・編

別冊文藝春秋 電子版19号

文藝春秋・編

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「さらに申し上げれば、別家の三家の殿席はいずれも雁之間でございます。すなわち、御譜代は御譜代でも、幕閣が輩出する殿席に詰めておられます。事実、村上藩内藤家の御先代である内藤紀伊守信敦殿は奏者番から寺社奉行、若年寄、京都所司代と絵に描いたような栄進の径を歩まれました。四十九歳で急逝されなければ、まちがいなく御老中になられていたでしょう。跡を継がれた御当代の信親殿もただいま奏者番で、寺社奉行を控えていらっしゃいます」

 なるほど、「ただの七万石」ではない。

「さらに若年寄を眼前にされているのが高遠藩内藤家の御当代、大和守頼寧殿です。残る岩村田藩にしても、わが国よりもさらにすくない一万五千石の拝知で、城を持たぬにもかかわらず、御当主の内藤豊後守正縄殿は伏見奉行を拝命されています。内藤家とはそのような御家柄であるということでございます」

「その内藤家から、」

 思わず剛も問いを発した。

「なにゆえに、御声掛かりがあったのだろう」

 岡藩の修理大夫殿は柳之間の同席だ。が、延岡内藤家は帝鑑之間詰めで、別家三家は雁之間詰めと言う。そこには越えがたい溝がある。時期が合っているとはいえ、外様である岡藩の「内々の能」での舞台がその溝を埋めたとは思えない。

「それを語るのは易くございます」

 けれど、八右衛門は間を置かずに返した。

「実は、延岡藩御当代の内藤能登守政義殿は岡藩の修理大夫殿の弟君なのです」

「ほお」

「すなわち彦根井伊家のお生まれで、修理大夫殿が七男、そして能登守殿が十五男に当たられます。修理大夫殿同様、延岡藩には御養子として入られたということでございます」

 そういうことか、と剛は得心する。そうでなければ、鉄砲洲より幾日も経たぬうちに、一統合わせて二十万石の譜代の御家から声が掛かるはずもない。

「察するに、兄君の修理大夫殿が過日の能の御様子を能登守殿に伝えられたという次第なのでしょうが、しかし、それもこれも、御藩主が勤められた養老の舞台あってのことでございましょう」

 けっして、ついでという風ではなく、八右衛門は剛の功に触れる。

「御兄弟とはいえ、いまは互いに一国の御当主です。よほど感に入らなければ、このわずかな日数のあいだに大名家から大名家へ話が通じて、事が動くことなどありえません。大名家とは本来、石橋が壊れるまで叩くものなのです」

 八右衛門は留守居役らしい言葉で称えるが、剛のほうは受ける言葉を見つけられない。

「実は、一昨日、柳之間に詰める国の江戸留守居役が会する同席組合の寄合があったのですが、そこでも岡藩の同役から御藩主の養老の話が上がりました」

 語るのは八右衛門だ。どの言にも誠が宿る。それでも剛の唇は動こうとしない。言葉が重ねられるほどに、気持ちが退いていく。

「それは見事な神舞であったと、感に堪えぬ様子で繰り返されておいででした」

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版19号
文藝春秋・編

発売日:2018年04月20日

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