書評

「意地」を貫き通すなかで光を放ち、一層かがやく、周五郎の世界の男たち #1

文: 沢木 耕太郎

『裏の木戸はあいている』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

『裏の木戸はあいている』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

 なぜ山口瞳の絵が用いられたのか。

 他の作家について辛辣な意見を平気で述べていた山本周五郎が、山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』についてだけは、例を見ない口調で絶賛していたのだ。

《山口瞳。ありがたい作家があらわれたものだ》(「江分利満氏のはにかみ」)

 これがもとで、山本周五郎と山口さんとのあいだに、ある種の交流が生まれた。私も、のちに何度か共にすることになる酒席で、山口さんの口から山本周五郎と初めて会ったときの興揚を聞いたことがあった。

 新潮社の文学全集編集部は、その交流を踏まえて、単なる「日曜画家」にすぎないと言えなくもない山口さんの絵を用いる決断をしたのだ。


 山本周五郎と山口瞳。この二人の共通点はどこにあるのだろう。

 それは、二人が二人とも、あらゆることに独特のこだわりを持っているというところにあったと思われる。文学についてこだわりを持っているのは当然としても、物書きとしての生き方についても、作家同士の付き合い方においても、いや、料理屋の仲居やタクシーの運転手に対する心遣いにおいてさえも、似たような独特のこだわり、独特の流儀があった。それは、人によっては「意固地」と名付けたくなるようなものだったかもしれない。

 山本周五郎はかつて「曲軒」というあだ名をつけられていたという。

 戦前、東京大森の馬込に、多くの文士たちが暮らす、いわば文士村とでもいうべきものがあった。山本周五郎もそこで二十代後半から四十代にかけての十五年間を過ごしたが、その文士村の「ぬし」的な存在だった尾崎士郎が「曲軒」とつけたのだ。

 もしその「曲軒」をやさしく噛み砕くとすれば、「ヘソ曲がり」ということになるかもしれない。

 山本周五郎のその「曲軒」、「ヘソ曲がり」ぶりを象徴するのが直木賞をめぐる対応だったろうと思われる。


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