2018.06.05 特集

【冒頭立ち読み】『辺境の思想 日本と香港から考える』(福嶋亮大 張 彧暋・著)#1

文: 福嶋亮大

本書のまえがきを2回にわけてお送りします。

『辺境の思想』(福嶋亮大 張 彧暋・著)

 しかし、そう言うならば、長らくイギリス植民地であった香港は日本以上に雑種的です。さらに、最近の日本では雑種的なアニメや漫画やゲームが文化を代表するようになっていますが、香港も大衆文化がきわめて強く、日本とお互い影響を与えあっています。ヨーロッパと日本という二元論は分かりやすいですが、香港のような近くの奇妙な存在を見失わせるものです。

 加藤にせよ内田にせよ、近代の日本の知識人は長らく、辺境の「自己」(日本)と中心の「他者」(中国/欧米)というきれいな座標のもとで自己認識を組み立ててきました。二〇世紀後半の人文学はこの座標を壊そうとする思潮(ポストコロニアリズム)も生み出しましたが、結局今も日本の論壇では古くて分かりやすい座標が好まれています。しかし、中国や欧米だけをモデルにしていても、世界認識は硬直化するばかりでしょう。むしろ香港が面白いのは、その雑種性において日本とよく似ており、それでいて近代化の道筋はまったく似ていないというところにあります。日本にとって、香港は自己と他者の「あいだ」に位置しているのです。香港との比較によって、従来の日本特殊論はある程度解除することができます。

 そもそも、グローバル化(世界経済の一体化)が進み、地球上で流行が共有され、誰もがスマートフォンでグーグルを見る時代になれば、日本にとって純粋な「他者」は想定しにくくなります。と同時に、多様な情報とひとびとが地球上を行き交うということは、日本という純粋な「自己」も揺らぐということです。したがって、自己(似ているもの)と他者(似ていないもの)の「あいだ」の存在、言い換えれば部分的に自己でもあり他者でもあるような存在をどう捉えるかは、グローバリズムの時代の重要な問題です。その点で、日本と香港という似て非なる辺境どうしの比較には、思想的な意味があるでしょう。

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