真面目に授業に出ているだけではダメ、誰かの真似をしたり他人と同じようなことをしたりするのでもダメ、技術は確かに必要ですがただ単に技術を磨いているのもダメ――自分で問題を発見し、自分でその解法を実験し、自分で正解を表現することができなければ、学んだことにはならないのです、芸術は。
『さよならクリームソーダ』の登場人物たち、特に花房美術大学に通う学生たちは、私が述べたような芸術の難しさに、全力で挑んでいます。若さゆえの危うさ、瑞々しい感性ゆえの脆さ、真面目であるがゆえの苦しさ……そうしたものを抱えつつ、柚木若菜も、明石小夜子も、寺脇友親も、彼らの周縁の人物たちも、懸命に学ぼうとしています。
けれど、ひょっとすると、読者の中にはそう感じられなかった方もいるかもわかりません。それこそ友親の義姉、涼のセリフのように「だから美大って嫌。常識から外れたことをやるのが格好いいとか思ってる奴ばっかりで」(〇八四頁)と思われた方がいても、無理はないかと私も思います。「ケイドロ」をすることがなぜ芸術を学ぶことになるのか、と。
ですが、「常識から外れたことをやる」のは、ある意味では避けられない道なのです。なぜって、芸術には、誰かが用意してくれる学びの道筋などないのですから。ケイドロをしながら夜を徹することで気づかなかった身体性に出会えるかもしれません。忘れていた、失っていた子供の頃の感覚を取り戻すことができるかもしれません。プリミティブなゲームの中に人を魅了する新しいヒントが隠されているかもしれません。いずれにせよ常識の外にあるものに触れ、既存の方法論を疑い、人がやらなかったことを率先してやってみようとしないことには、問題の発見すら覚束ないのです。
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