私と違い、主要登場人物のひとりである柚木若菜は、その意味では作品を描くたびに評価されているようです。ではその源泉はどこにあるのでしょうか?
答えは、間違いなく「観察」にあると私は断言します。アトリエで絵を教えるシーンで若菜さんは「よーく観察するんだ、観察」(一五二頁)と発言していますが、その言葉を証明するかのように、若菜さんは物語の随所で観察する力を示します。
例えば物語の後半、若菜さんはこう言います。「でも俺は、お前が親から離れたがっているっていうことだけは、痛いくらいにわかったよ」(二九三頁)と。友親との会話で友親の自立志向が描写されているとしても、それを言葉の表層として受け止めず、「痛いくらいに」理解できるのは、若菜さんが友親を短いやりとりのなかでしっかりと観察し尽くしたからでしょう。
他にはヨシキとの会話にあった、「興味ある?」「はい?」「油絵」(一六九頁)というやりとり。ヨシキが一度は渡された絵筆を拒み、でも「じゃあ、ちょこっとだけ」(一六九頁)と受け取るまでの流れは、そこまでの展開を観察から類推していなければそもそも生まれないやりとりと言えるでしょう。
まだまだありますが、言えることはひとつ、観察を疎かにした人間に優れた作品は描けないという事実です。若菜さんは秀でた観察する力を持つがゆえに、問題を自分で見つけることから、自分の答えを出すまでを、淀みなく実践できるのでしょう。
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