東山彰良
秀吉の朝鮮出兵という戦乱のただなかで、島津藩の侍、朝鮮国の被差別民、琉球のスパイという三人の男たちが葛藤し、生きることと戦うことの意味を問いかけてきます。文章が少々説明くさく、随所に差し挟まれる歴史や儒学の解説にペダンチックさを感じました。しかし登場人物を丁寧に書き分け、物語をまとめる筆力は間違いなく本物でした。国家に帰属せざるを得ないアイデンティティと、それを超えていこうとする個人主義のせめぎ合いは、ぶれることなくやがて作品のテーマでもある「礼」に漂着します。人はなにをもってして人たりえるのか。学問を自分の血肉としていく過程には個人の経験が大きく関わり、また個人の経験に意味を付与し、よりよく生きることに役立てるためにこそ学問はあるのだなと改めて気づかされました。
三浦しをん
「論語、難しい……」と最初は不安だったのだが、登場人物たちのやりとりにそこはかとなきユーモアがあり、ぐいぐい惹きこまれた。どの人物も実在したのではないかと思うほど魅力的で、本作で描かれる時代にタイムスリップした気分だった。自分にとっての「他者」「異文化」と出会い、ぶつかり、受け止め受け入れることによってしか、自他や世界を真に知ることはできないのだということが、各登場人物の言動を通して浮かびあがり、私は激しく心揺さぶられた。「現代」をも射程に収めた、骨太のエンタメ時代小説である本作は、きっと多くの読者の胸に残る一作となると確信する。
角田光代
私にとってじつに難しく読みにくい小説で、メモを取りながら幾度も読みなおさねばならなかった。大野七郎久高の視点、朝鮮国の白丁身分の少年・明鍾の視点、琉球の商人・真市の視点で語られるパートがあり、やがて文禄慶長の役へと突入し、三人は相見えることとなる。読みづらいと私が思うのは、小説内で「薬臭い」と表現される儒学の経典、それから礼記・千字文・論語・孟子などの引用で、もちろんそれは私に素養教養がないせいだが、でも、小説の勢いをそいでしまっていると感じられ、書き手は膨大な資料と格闘したのだなという感想をどうしても持ってしまう。つまり小説の世界に入っていたのに書き手が見えてしまう。ただ、その読みづらさと格闘していると、だんだん小説の核があらわれてくる。礼とは何か。人を人たらしめているのは何か。獣のように闘い人を殺すことが良しとされる世で生きる意味とは何か。それぞれ異なる立場で同じ時代を生きる三人が、同じようにその問いを突き詰めていく。そうしてラスト、それぞれの答えが邂逅する。それでもわかり合い、それぞれの答えを共有することはない、と小説は書きながら、しかしすがすがしい読後感を残す。この核が見えてようやく、なんと深く、かつおもしろい小説なのかと気づいた。