別冊文藝春秋

『レフトハンド・ブラザーフッド』知念実希人――立ち読み

文: 知念 実希人

電子版21号

 跪いた状態でカズマを見上げた。

「卑怯? スパイの癖に笑わせんなよ」

 カズマは岳士の髪を鷲掴みにして引きつける。勢いよく迫ってくる膝頭を、岳士はただ眺めることしかできなかった。火花が散ったように視界が明るくなり、そしてすぐにブラックアウトする。全身の感覚が消え去った。

「さて、これで当分は動けませんよ。で、こいつどうします?」

 遠くからかすかに声が聞こえてくる。おそらくはカズマの声。

「決まってんだろ! ここでバラシて、魚の餌にするんだよ」

 鼻をやられたせいか、妙にくぐもったヒロキの声が降ってくる。

「マジで殺っちまうんですか?」

「当り前だろ。こいつ、俺を殴りやがったんだぞ。ここなら道具もあるし、何やったって見つからねえ。なんだよ、カズマ。てめえ、ビビってるのか」

「いえ、別に。俺をサツに売った奴ですからね。殺るならさっさと殺っちまいましょう」

 二人の物騒なやり取りを聞きながら、岳士は戸惑っていた。これまで、ボクシングで何度かノックアウトされたことはある。その際は、意識が朦朧とし、なにもまともに考えられなかった。しかしいまは、思考ははっきりとしているにもかかわらず、体だけが全く動かない。

 まるで、意識が体の奥底に閉じ込められてしまったかのように。

 なにが起きているのか分からないまま混乱していると、かすかに歪む視界の中で左手がピクリと動いた。しかし、その動きは岳士が意図して行っているものではなかった。

 左手はカズマたちに気づかれないようにするためか、虫が這うように緩慢な動きで、辺りの床に散らばっている砂を少しずつ掻き集めていった。

「で、誰が殺りますか?」

 淡々としたカズマの声が聞こえてくる中、左手は掻き集めた砂をつかむ。

「俺が殺るにきまってんだろ! 畜生、鼻血が止まらねえ。おい、お前ら、なんか適当なものもってこい。こいつの頭をつぶせるようなやつを」

 鼻からの血が口腔内に流れ込んでいるのか、ヒロキの声はさっきよりもくぐもって聞こえた。取り巻きたちが慌てて走っていく足音が聞こえる。

「これでいいっスか、ヒロキさん?」

 取り巻きの一人の声がする。

「ああ、ちょうどいい。邪魔だからお前ら離れてろ」

 ヒロキが何かを持ち上げる気配がした。

別冊文藝春秋からうまれた本

別冊文藝春秋 電子版21号文藝春秋・編

発売日:2018年08月20日


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