しかしわれわれはこの単純な結論に到達するまで長い遠回りをさせられた。なぜわれわれは混乱させられたのか。須田氏の取材活動を通じて見えてくるのは、疑惑を持たれた人々による問題先送りの手練手管である。
その最たるものが検証実験だ。本書に何度も指摘されているように、論文の当事者である小保方氏、笹井氏、丹羽氏や、理研CDBセンター長の竹市雅俊氏、理研理事の川合眞紀氏らは「論文不正とSTAP細胞(現象)の存在は別」という立場を取った。しかし、須田氏は次のように指摘する。
《こうした姿勢は、不正の全容解明よりもSTAP細胞の有無の方が重要なテーマであり、もしも検証実験で再現できれば論文の主張は正当化されるかのような、誤ったイメージを拡散させた》(四四〇頁)
私は当時、検証実験でSTAP細胞が見つかれば、論文不正で窮地に追い込まれた小保方氏らの形勢は一挙に逆転すると見ていた。記者会見などで検証実験の意義に疑問を呈する須田氏を見て、論文不正の解明にこだわりすぎではないかと思っていたくらいだ。
しかしそれは間違いだった。本書を読んで気づかされたが、論文と実験は一体なのだ。それが長い歴史で科学者たちが達した了解事項である。証拠もなしに、いいたい放題の主張をするのは科学ではない。仮説を立て、実験し、分析し、決まった形式に則って論文として発表する。その一連の作業が科学を科学たらしめているのだ。一流誌ネイチャーに論文が載ったことを実験の正当性を保証する材料として使いながら、いざ論文に不正が見つかったら、論文と実験を切り離し、論文が否定されても実験は正しいと態度を変えるのは都合がよすぎる。論文と実験が別なら、真っ当な論文に対しても、実験とは別だからこの論文は信用ならないという論理が成り立ってしまう。それでは科学の営みは瓦解する。
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